![]() YASUさんのメッセージ(#20123)への返事 > 和井 恵さんのメッセージ(#20119)への返事 > > 密教では、功徳の積み立てなんて方法は使いません。 > > 三密加持、入我我入の技法によって、原理的なエネルギーそのものと一体となるのです。 > > > > 瞬時にね。 > 密教行者は常時、そういう状態にあるとは思えないので、 > やはり借り物のエネルギーと言えるのでは? > 意識しなくても。 > 長い未来世を考えると、功徳は重要になると思いますね。 あのね、このことは、何年か前にここに一度書いたことがあるんだけど、 私たちはすでに、この「入我我入の技法」を使っているんだけどね。 私たちの、この身体は、私たちのモノではない。 それでは、何故、私たちはこの、 「無常のモノによって構成されている身体」を動かせるのでしょうか? 「自己」ではないモノを、どうしてコントロール出来るのですか? それは、完全に身体と「自己同一化・一体化」してしまっているからでしょ? 密教で言う三密加持、入我我入というものを、私たちは既に経験しているのですよ。 日常で、日々の生活の中でね… 無常のモノと、自己とを同一化して、それを動かしいるのです。 ですから、この「同一化」している「範囲」を意図的に拡大していくと、 これまでコントロール出来なかった事物や現象も支配できるようになる、ということ。 これが、「神通力(自在力)」を顕在化(発現)させる原理なんです。 アーガマの中に、釈迦たちが河を「テレポート」する記述が出てきます。 その表現が、とても面白い。 「折りたたんだ腕を伸ばすように…」 要するに、「身体感覚(の延長)」なんですよね。 > われわれの生きている現世では、飲食したり、 > 仕事をしたりしないといけないですからね。 > 天界にでも転生して、飲食や仕事をする必要が無くなったときにでも、 > 実践してみたいですな。 どうぞご勝手に。するもしないもその人の自由ですから。 > ソンシみたいにシヴァ大神と合一したときだけ神通力を発揮し、 > そうでないときには「糞尿垂れ流し」ではどうしようもないでしょう。 それは、そうですね… 彼が、上記の原理を理解していたとは思えませんけどね。 > > 三密加持、入我我入の技法というのは、他力を自力に変えてしまう技法なんですよ。 > > そしてこの時に、妙な信仰心(自己を相手の下に置く)などを持ち続けてしまっていると、 > > 本物の自力(自在力)は発現しないんです。 > > だって、心の奥底で、対象を自己より「格上だ」なんて思いこんでいる状態で、 > > どうしてその対象と「一体化(同化)」することが出来ますか? > > そうかもしれないですね。密教的には。 > でも、そういう信仰心を持っていても、 > 弱いながらもその対象からのエネルギーは来ると思いますね。 その程度の、借り物の「弱い力」では、 この世界そのものを「相転移」させるだけのフォースは生み出せないのです。 > > …いや、信仰心は、力を使うときに悪用を防ぐ安全弁として働くことはあるかも。 > > 要するに、心の使い方の問題なんですけどね。 > > わたしは今生はそうしたいと思います。 > 「自分は偉大な存在だ!」「何でも出来るんだ!」「こんな世の中ぶっ壊してやる!」 > なんて想いが生じてくること自体、恐ろしいことはないでしょう。 まぁ、心解脱や慧解脱をしていなければ、そうなる危険性は十分あるでしょうね。 たとえ(解脱を)していたとしても、転落をする可能性はゼロではありませんから… |