![]() YASUさんのメッセージ(#20116)への返事 > > その本源(大日如来やシヴァ大神)が何なのかを知り尽くし、 > > 逆にそれを自在に使いこなす位でないと、世界の相転移は起きないと思います。 > > 難しそうですね。 ええ、簡単ではありませんね… > 「世界の相転移」というのは、 > ソンシが目指している「救済」のような気がしますな。 > で、巻き添えを食らったのが、われわれと。 これは、救済ではなくて、創造です。 救済というと、「他者{他者の自己)」が必要でしょ? 自己ですら、この世界には無いのに、何処に救うべき他者がいるのですかね? atomさんも言っていたけれど、「救う」という言葉(考え)には、 必ず他者(という幻影)への「見下し」という煩悩がが入っているのです。 そうではなくて、この現象世界は「無常」ですよね。 絶えず変化している。 この変化がランダムで、コントロールが出来ないほど「苦」になるんです。 だから、その変化を、無常を形成している「原理」そのものに働きかけて、 コントロールしていく、ということ。 これが自在になるほど、苦は楽に変化するのです。 > それはともかく、釈迦と高い世界にいる如来方とでは、 > 大きな差があると思いますね。 > ソンシも説法で言っていたと記憶しております。 その如来方って、いったい何ですか? そういう人格神のようなモノがいるとでも? まぁ、いると言えば、そう言えなくも無い(否定の否定)かな… 釈迦、というよりも、私たちの真の自己の本質は、 「天上天下唯我独尊」なんですよ… この意味がわかりますか? > 正木晃氏の本によると、昔チベットのある寺院で、 > 支那禅(中国禅)とインド仏教の僧侶同士の論争があったそうです。 > 争点は「功徳の集積」を認めるか否かだったそうです。 > > これからヒントを得て、 > 如来になるにはその「功徳の集積」も必要ではないかとわたしは考えますね。 > そうすると、ソンシがなぜ出家制度を作ったのかも見えてきてしまいます。 > 弟子に功徳を積ませたり、自分との縁を付けるためです。 > (結果としては周知の通りになりましたが) 密教では、功徳の積み立てなんて方法は使いません。 三密加持、入我我入の技法によって、原理的なエネルギーそのものと一体となるのです。 瞬時にね。 > まあ、他力的に世界の相転移を期待するより、 > 個人レベルで「相転移」を目指す方が無難のような気がします。 三密加持、入我我入の技法というのは、他力を自力に変えてしまう技法なんですよ。 そしてこの時に、妙な信仰心(自己を相手の下に置く)などを持ち続けてしまっていると、 本物の自力(自在力)は発現しないんです。 だって、心の奥底で、対象を自己より「格上だ」なんて思いこんでいる状態で、 どうしてその対象と「一体化(同化)」することが出来ますか? …いや、信仰心は、力を使うときに悪用を防ぐ安全弁として働くことはあるかも。 要するに、心の使い方の問題なんですけどね。 > > 釈迦の教えた方法で、慧解脱・心解脱の成就によって、 > > 「明智」を得てから密教の技法の習得に入り、その原理を把握して使いこなす。 > > > > しかし、これを言い始めると、妙なことにオウムの教義に似てくるんだよね… > > マハーヤーナスートラに書かれていた、「七段階の修行過程」に。 > > > ひかりの輪よりもA派Alephに近くなってしまいますね。 > 「シヴァ大神の意志だ!」「救済だ!」なんて言いたくなったらお仕舞いです。 いいえ、全然内容が違うと思いますよ。 まぁ、そんな面倒なことを、やるかどうかは別としてね… |