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#20128 2009年2月19日(木)22時18分
From: キャンディ
Subject: Re:スレ立て頼む〜
おお、そうだ どうせだからこっちに書いてから転載するか、、

以下、過去の雑誌記事より
95 六月2日 週刊ポスト

スクープ! 台湾マフィア幹部が衝撃証言
(私はオウムからの覚醒剤五十キロを仲介した)
トカレフ10丁も売った

クローズアップされるオウムと覚醒剤。一部台湾誌が台湾警察当局の情報として
オウム真理教が日本の暴力団や台湾の暗黒社会と接触し、アンフェタミン
(覚醒剤の一種)をひそかに台湾に持ち込んでいた模様だと報じた。本誌は
この疑惑を裏付ける重大な証言を入手した

純度60パーセントのブツだった

仮にA氏としておこう
台湾には大小60もの暴力団組織があるが、エー(以下英字変換面倒なんでAをエーと書く)
はその中でも二大組織のひとつに所属する台湾マフィアの幹部である。
常に日・台の間を往復し、都内にも表面上は(金融業)として事務所を持っている。

そのエーがようやくわれわれの取材に答え、オウムの覚醒剤製造と日本の暴力団への販売に
ついて証言した。

台北のエー氏の自宅の電話が鳴ったのは一昨年の四月下旬の真夜中のことだった。
電話をかけてきたのはエー氏の弟分で、日本の暴力団に覚醒剤販売ルートを、もっている
B(以下ビー)氏だった。エー氏は台北に居住しているが、高雄市の工場で
年間二百キログラムの覚醒剤を作り、ビー氏のグループが日本の暴力団に
販売するというシステムを取っている。

電話は台北市内からであった。(会ってほしい日本人が、いまここにいるんだよ)
何のようかとたずねると、受話器の向こうでビー氏は言った。
(日本で作ったシャブを台湾経由で日本のルートに乗せてほしいという依頼だ)
(日本じゃシャブなんか作ってないだろ)
(それがあるんですよ)

興味深い話だと思ったエー氏は念のためこう聞いた(誰の紹介できているんだ)
ビー氏の口から日本の暴力団の名前がでた。エー氏はそこと面識があった。
(それなら安心だろう)←なにが安心じゃ
と考えたエー氏は、
(ブツを持ってくるようにその日本人に言ってくれ)そういって電話を切った。

午前二時ごろ、待ち合わせ場所のサウナに行くと、三十才そこそこと見える日本人の
男がいた。エー氏は名刺は交換しないことにしている。
(まずブツをみせてくれ)
エー氏がいうと日本人はシャツの胸ポケットから10グラムほどの白い粉の入った
ビニル袋を取り出した。
(これはあまり質のよいものじゃないな)
とエー氏は思った。
エー氏が作っている台湾製のものと結晶がぜんぜん違う。透明度も違う。
多分、製造過程での反応がひとつかふたつ、足りないな。
コップに入れてかきまわしてみる。質がよければ、流れにそってクルクル回る。
案の上、この日本人の持ってきた粉の回り方は弱い。


、、ちっと休憩


(回り方が弱いね、一応持って帰って調べてみるよ)
翌日エー氏は日本人がもってきた粉を、高雄市の自分の工場に送り、鑑定させた。
(やっぱり、これじゃルートには乗せられないな)
夕方六時、レストランでエー氏は再び日本人にあった。
その日はサウナであった男のほかに三人の日本人がいた。ほとんどが二十代にみえた。
(どういう人間なんだ)
ビー氏に聞くと、彼は黙って彼らの名刺を見せた。そこには中国語で
(潟Iウム)と書かれていた。

エー氏はオウム真理教の名さえ知らなかった。
(このブツではルートに乗せられないね)
エー氏が言うと日本人はしつこく(なぜ駄目なのか)と食い下がった。
エー氏は説明した。通常の粉を百パーセントとするならば
これは純度が60パーセントくらいしかない。これでは覚醒時間が短すぎる。
おそらく三十分くらいしか持たないだろう。
しかもエフェドリンが多いとのどが渇くが、これはアンメタ(アンフェタミン)が
多いから、頭が割れるように痛くなる。
(もし、(純度の高い覚醒剤の)製造方法を教わりたいなら、うちの工場で
教えるよ。ただし、指導料として三日間で五百万円をいただく)

これで話を打ち切って、エー氏は日本人と別れたという。

、、ちっと休憩


一昨年夏 製造方法を取得

エー氏のもとには逐一ビー氏から報告が入っていた。
ビー氏によると、日本人たちは最初に台北でエー氏に見せた質の悪い粉をすでに
10キロも製造していたという。エー氏はビー氏にいった。
(それならまず質の悪いシャブを先にさばいてしまったほうがよい)
結局彼らは五月中には、ビー氏をとおして五百グラム=170万円で日本の暴力団に
売りさばいていた。
エー氏は四月に会った日本人に直接あうことはなかったが、彼らはもう一度台湾に
やってきた。
それが判明したのはエー氏の台湾の事務所の口座に第一勧銀西銀座支店から
指導料として五百万円が振り込まれていたからである。

その後彼らは七月の末から八月の頭の三日間、高雄の工場で製造方法を習っていった。
エー氏はあらためてこう語るのである。
(彼らが日本に帰って作った台湾式のシャブは五十キロで、九月に一キロ五百万円で
ルートにのったと、ビーから報告を受けている。
昨今日本に流れているシャブは、ほとんどが台湾で作られたもの。
逆にいうと日本でシャブを買う暴力団は、台湾ルートでないと信用しないわけですよ)

昨年11月末、来日直前のエー氏のもとにビー氏から電話が入った。
(オウムがお礼を言いたいと言っている)
というのである。
(誰が会いたいと言っているんだ)(名古屋の組の若頭で、中田という男だ)
では東京に行く予定があるから、新宿のパーラーで会うことにしよう。
そういって電話を切った。

一応、名古屋のその組に電話をいれて、(中田という男はいるか)とたずねると
(確かにいるが今はばっくれている)
電話の男は報道されたような(破門)という言葉は使っていなかった。

約束の日時にパーラーにいくと、(中田)は二人の舎弟を連れていた。
(中田は普通のジャケットを着て、いくぶんラフな格好だったが、
他の二人は上下白の例のオウム服にジャンパーを着ていましたね
中田は実家が風呂屋なんだって?そんな話をしていましたよ
最後に中田が、実は私は世話になっている男がいる、ぜひその男に会って欲しい、というんです。その男が早川だったわけですよ)エー氏

中田が早川を連れてきて、再びパーラーであったのは、昨年十二月のクリスマスの直前だった。
この日は中田も早川も普通の格好をしていた。
一緒についてきた二人の男は、例のオウム服を着ていた。
(いろいろお世話になり、ありがとうございました)
そういう早川の横で、この日の中田はあまり口を開かなかった。

、、ちっと休憩

続きは明日、疲れたびー
どなたか2ちゃんスレ立てありがとう
2ちゃんで罵られたら怒りが激発して、面倒だから書かないでいたことを
必死にタイプしてしまいました

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