和井 恵さんのメッセージ(#20119)への返事 > > > それはともかく、釈迦と高い世界にいる如来方とでは、 > > 大きな差があると思いますね。 > > ソンシも説法で言っていたと記憶しております。 > > その如来方って、いったい何ですか? > そういう人格神のようなモノがいるとでも? > まぁ、いると言えば、そう言えなくも無い(否定の否定)かな… > 「いる」と言っておいた方が、今のわたしを含めて励みになる人も多いのでは? > 釈迦、というよりも、私たちの真の自己の本質は、 > 「天上天下唯我独尊」なんですよ… > この意味がわかりますか? いいえ、正直に言うと、分からないですね。 > 密教では、功徳の積み立てなんて方法は使いません。 > 三密加持、入我我入の技法によって、原理的なエネルギーそのものと一体となるのです。 > > 瞬時にね。 密教行者は常時、そういう状態にあるとは思えないので、 やはり借り物のエネルギーと言えるのでは? 意識しなくても。 長い未来世を考えると、功徳は重要になると思いますね。 われわれの生きている現世では、飲食したり、 仕事をしたりしないといけないですからね。 天界にでも転生して、飲食や仕事をする必要が無くなったときにでも、 実践してみたいですな。 ソンシみたいにシヴァ大神と合一したときだけ神通力を発揮し、 そうでないときには「糞尿垂れ流し」ではどうしようもないでしょう。 > 三密加持、入我我入の技法というのは、他力を自力に変えてしまう技法なんですよ。 > そしてこの時に、妙な信仰心(自己を相手の下に置く)などを持ち続けてしまっていると、 > 本物の自力(自在力)は発現しないんです。 > だって、心の奥底で、対象を自己より「格上だ」なんて思いこんでいる状態で、 > どうしてその対象と「一体化(同化)」することが出来ますか? そうかもしれないですね。密教的には。 でも、そういう信仰心を持っていても、 弱いながらもその対象からのエネルギーは来ると思いますね。 > …いや、信仰心は、力を使うときに悪用を防ぐ安全弁として働くことはあるかも。 > 要するに、心の使い方の問題なんですけどね。 わたしは今生はそうしたいと思います。 「自分は偉大な存在だ!」「何でも出来るんだ!」「こんな世の中ぶっ壊してやる!」 なんて想いが生じてくること自体、恐ろしいことはないでしょう。 |