![]() 聖者ぼんちリンポチェさんのメッセージ(#14482)への返事 > > そんなの、最終解脱した境地の話ではないのですか? > > 少なくとも和井恵さんの言説を読む限りにおいては、 > そげな大層なことをせんでも具足できる状態のようですよ。 その通り。 釈迦が直接教えていた「解脱」とは、もっと「シンプル」なものですよ。 後世の「部派仏教」の愚僧たちが、机上の空論を練り上げて、 「何とかアソウギ十万カルパ」の修行が必要だなんて決めつけたりしたから、 変な「誇大妄想的なイメージ」が憑いてしまったんですよ。 > てか、「最終」解脱って何です? > 過去についての苦を持たず、今についての苦を持たず、 > 未来において苦が生起することもなく、 > というのが解脱なわけで、 > よくよく考えたら、オウムでいう最終解脱って、 > ちょっと誇大妄想の産物ではないかと思うんですが如何? そだね。 > > てことはA社的に言うと、現世に交わったらすぐに壊れちゃう境地??? > > 供養値魂から世尊に至るまでの「十号」ですけど、 > これを縦に並べたがために如来への道がやたら遠くなったのでは? > というか、意図的に「遠く設定した」のではないでしょうかね。 かなり意図的だよね。 それにオウムの教義での説明をいくら読んでも、 何故「階層的」なのかがさっぱり解らない。 説明自体が「理論的」ではなくて「情緒的」だしね… あってもなくてもいいような説明ばかりが続いていて、 「なんじゃこりゃあ」って思ってしまう。 > もし現世に交わってすぐに壊れるようなものだとしたら、 > それって解脱とは言わないと思うんですよね。 > 解脱ってのは、平たく言えば「全く苦しまない状態」なわけでしょ? > つまりこれは、心身があらゆる現象に対して苦を感じないシステムを構築すること、 > なわけであって、一旦システムとして組みあがったら、 > そうそう簡単にはそのシステムは壊れないと思いますよ。 > いや、どこかに欠陥があればそりゃ壊れるかもしれないけど、 > 欠陥がなければ「苦はない」。はい、それきりでおしまい、だと思います。 そう。だから釈迦の弟子達は、 自分の「成就の状態」を自分自身で確認したうえで、 「もう二度と、苦しみの連鎖する世界に戻ることはない」 という確信を持つことができたのです。 「弟子達の告白」という教典に、沢山出てきますよね。 多くの弟子達の、喜びに満ちた「確信」を宣言する言葉が… > 結局、魂なるものを突き詰めて考えた場合、 > 単純に、「こいつに苦はあるや、いなや?」 > それだけのことだと思いますから。 そういう、シンプルで明確な思考が出来るようになれば、 「慧解脱」に至るのも、そう難しくはないと思いますよ。 今までは、余計な観念(妄想)が多すぎたよね。 |