聖者ぼんちリンポチェさんのメッセージ(#29180)への返事 > まあ、ヤクザにでもなろうという人の方が、 > 情に厚いってこともありますけれども。 > 確かに情にあっい面は、有るけどそれは渡世内のみの話しです。 ヤツガレが本心から、泣くのは、番場の忠太郎等の母物を見た時、親しい知人がなくなった時ぐらいです。 > ほう。 > ではそう見られている私は神風代理人さんを何と見ればよいのでしょう? > 何ら親近感を持つ余地のない人間に対して、 > どうして尊敬することが可能なのでしょうか? > > これ、極論すれば、もし得度していなければ、 > 私という人間の中身が今の私とまったく同じであっても、 > 神風代理人さんからは尊敬されない、ということではありませんか。 > ヤツガレが、作務衣を売っている店を教えてください。 と言った時までの気持ちと、 高野山であった時、人のふりみて、我がふり直せ、 あの時から、年齢関係なしで、尊敬の的と見るようになった。 だから、尊敬すべき人に宗教について、信仰について、何かあった時、教えを乞う。 こうした気持ちは、友達とか、親友に発展しないと考えます。 人を尊敬する。と言うことは、衣に関係ないと思います。 > 僧侶も人間であるし、人間を超えようとはしていないし(すればカルト教団です) > また、人間であるがゆえに僧侶たり得るのですよ。 > おっしゃることは、わかります。 > 一つ別の側面を言うならば、 > 友情とは、尊敬なくして成立するものではないのです。 > ヤツガレの年代では、尊敬と友情は違うと考えています。 > その先となると、相互に尊敬の念がなくては、 > 今のような男女同権を是とする世の中にあっては、 > 理想的な夫婦関係とはならないものです。 > 相手に対する尊敬と思いやりが必要では、ないでしようか。? > これ以上に悲しいことはありません。 > > もちろん、私としてもこの事件が神風代理人さんにとって、 > 友情、友人という言葉に対してさらに屈折した思いを抱かせることになっただろう、 > そう思うと悲しいです。 > 神風代理人さんがどう思われるかわかりませんが、私についての説明としては、 > この悲しさこそ、私なりの友情であるとご理解下さい。 ご厚情深謝します。 ある程度、信じ掛けていましたから、金を抜く前に、相談して欲しかった。 怒る気持ちになれません。 悔しい気持ちのほうが強いです。 |