元芝さんのメッセージ(#25120)への返事 > 仮に聖者Cとお呼びしましょう。 > 彼はジュニアーナ(アッギャ)ヨーガの聖者です。 > その恐るべきというくらいの知慧はヨーガだけではなく仏教にも精通し、 > 真理というものは如何なるものかを示してくれます。 > Cは日本では無名ですが世界的に有名です。 元芝さんは聖者Cが発言していない言葉を、 勝手に捏造して「聖者Cは〜と言った」 というようなことを書き記したりしますか? 勝手に物語を作りますか? ラクシュミー・デービーは、 ラーマクリシュナの弟子です。 師であるラーマクリシュナの言葉を勝手に捏造すると思いますか? つまり、ラクシュミー・デービーは嘘つきだと言うわけですか? > いいえ。 > 俺が言ってるのはラクシュミーのそういう「感情」の話ではなく、残された者の > 「教団運営者」としての「打算」を言っているのです。 > > この言葉は支配を望まないラーマクリシュナらしからぬ発言です。 > ラーマほど他人の自由に重きをおく聖者はいません。 > なのでこれは後に残される「教団運営者」としての人物たちの思惑の入った > > 「物語」 > > であると俺は思います。 > > > ラクシュミー・デーヴィーの伝記より > > > > あるとき、部屋の半円状のベランダに立っていた師は100年後また生まれてくる > > とおっしゃった。 > > しかし、ホーリーマザーは、また生まれてきたくないと言った。 > > ラクシュミーもその考えには激しく反対した。 > > もう二度と生まれてきたくない―たとえ煙草の葉のように切り刻まれようとも! > > と言ったのだ。すると師は笑って言った。 > > 「もし私がここに来るなら、お前たちはどこにとどまるつもりなんだ? > > お前たちの心は私に恋いこがれるだろう。私たちの根はカルミ草のように > > 結びついているのだ―ひとつの茎をひっぱれば、茂みの全体が一緒についてくる」 > > 弟子は未完成なので師を追いかけるのでは? 完成した弟子は確かに追いかけることはないでしょう。 > > 真に悟りの道を歩く者ならば、弟子は師を追いかけたりはしません。 > 師の神の体現という表現の場を、機会を奪わないために。 > 師はあらゆるとこにいるのだから一人になど執着しません。 師が弟子を追いかけないということには同意します。 > 師も特別なことがない限り弟子を追いかけません。 > 弟子の神の体現の、その無限の多様性を、機会を奪わないために。 > |