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#23107 2009年7月1日(水)14時01分
From: 影晃
Subject: Re:夜摩天影晃さま
忉利天サンデーさんのメッセージ(#23103)への返事

> > はい。以前はまだ80%の信者でしたが、今は95%になりました。
>
> 貴方は私ごとき下賎な者が教えられるような魂では御座いません。
> 特に、私は弟子と目した人達に逃げられる事ばかりやってきました。
> まだ、私のカミさんの指導のほうが貴方に成長して戴けると思います。

自分は、様々な団体に入りはしつつも、結局、最後までついていくことができず、
上手い言い訳をして逃げ出してきました。どの団体の教えでも、真剣に、全力でやれば、
物凄い結果を出せていたのに…、と、よく悔やんでいます。←憤怒天


ところで、「指導者における煩悩」というものを考えたことがあります。以下、簡単な一例です。

・指導上の怒り(なんで修行しないんだ!)
・指導上の貪り(相手の許容量を超え、次々と教え込む)
・指導上の疑い(相手を信頼できず、数多くの戒律等で縛り上げる)
・指導上の無知(臨機応変に対機説法できない)
・指導上の怠惰(慣れてきて、同じことを何となく繰り返す)
・指導上の人情(「もうそれで十分だ」と感化納得し、本来の能力まで引き上げられない)
・指導上の批判(善悪をズバズバ断定、追求し、その後の影響を考えない)
・指導上の闘争(極端に高い目標設定が、逆に悪影響を与える)
・指導上の喜び(「教えられてばかりです」と感動し、相手の成長を失念する)

自分に向けられた煩悩と異なり、これらが高度な煩悩である代わりに、
「まあ、これくらいはいいんじゃないかな」といった処置をされ得ると感じます。

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