和井 恵さんのメッセージ(#22579)への返事 > 「この修行 」というのは、善業(功徳)を積んで悪業を滅するという方法のことですよね。 > > 仏教では、カルマの法則や功徳の理論を説きますが、 > > これらは全て、「個我」を前提として成立するモノですよね。 > > 解脱・悟りに至るためには、ある段階で、 > > これらの教えから離れる必要があるのは、理解できるでしょ? > という発言をしているはずなのです。 個と全体との関係は、包括関係か? フラクタル理論とかホログラフィーモデルとか아벨の 電脳網モデルw とかいったいくつかの比喩を通じて、少なくとも個我が全てではなくって ワンネスって理解までは然程難しくない感じなのですが、ご指摘頂いた通り二元的ワンネス って理解のレベルなのでしょうけど。 解脱悟りを得る、それも人間社会の中で解脱悟りを得る方向性がどのような位置づけになる のか・・・、極端に言ってしまうと我々凡夫外道レベルの者としては大乗の船に乗せて頂い ての「ポワコース」くらいが現実的なところなのかな? とか。 下手の考え何とやらで、 余計なこと考えずに宗教屋の先生を拝んで金出してる方がよいのかもしれませんがwww ま、ホンネでは、自分が教祖様になって信者や美女相手に某開祖的に振舞いたいという欲が あるのでしょうが、現実的にそんな能力無いから、まあスネ者として評論家してるとwww > カルマ(行為の果報としての形成作用)の働きに関しては、 > 私は現在では、(仮説された)個我の持つ五蘊の中の「行」の働きとして捉えています。 ある程度はわかるような気が。これ以外の考え方として成り立ち得るのはどういう解釈か という演習などもしてみたい感じ。 > つまり、業には「自業(自分が受ける果報)」と「共業(他人が受ける果報)」があるのです。 完全にバラバラの個我という考え方は、多分絶対に違うとほぼ確信できますから、そういう ご解釈は非常によく理解できます。アングリマーラのケースがそうかどうかは難しくてよく わかりませんが。 |