ぼんち@SoftBankさんのメッセージ(#20690)への返事 > それまではラージャ・ヨーガでも成就と称されてましたが、 > クンダリニー・ヨーガの成就でなければ成就とは言わなくなりました。 > 理屈からいえば、師補には元ラージャ・ヨーガ成就者と、 > 単なる「師の補佐権限を持つ者」の2種類が混在しているわけです。 > 荒木師補の場合、明らかに後者です。 確かに単に「成就」という語を単独で用いた場合には、狭義「成就」=クンダリニーヨーガ の成就という意味になって、超初期の岡崎死刑囚みたいなラージャヨーガ成就で大師っていう のと混同される場合があるかもしれませんが、私が書いたように、「ラージャヨーガの成就」 (ラージャヨーガ「で」成就にあらず)という表現は後期でも用いられていたはずです。 七段階だったかの最初歩の成就という意味で、これが師補という対応は、最も代表的というか 一番皆にとってなじみのある感覚ではないでしょうか。 事件後の混乱期にはステージ制度に色々と混乱があって、霊的ステージだけでなく職務能力 でのステージ昇格という意味だったか、徳師補とか徳サマナ長というステージが提唱された ことがありましたが、なし崩し的にうやむやになってしまったのかも。 荒木さんの場合には、霊的ステージでのラージャヨーガの成就によって師補となられたので なくって、徳師補という昇格だったのかもしれないと思いますが、あのときの資料は今手元 に無いので帰宅してからまた調べます。 追加 神戸でキリストの幕屋の映画を観てきました。素晴らしかったですが感想はまた後ほど。 上に書いた2000年秋の通達・・・これはクサラカラティ師の成就前、かつ聖準師制度が できる前のもので、うやむやになってしまった部分もあるのかもしれませんが・・・ 個人情報が非常にヤバいので当該人以外は全部伏字にします。この頃でしたっけ、信徒にも ステージ制ができたのか改定されたのか、帰依信徒長だの帰依信徒仮認定候補者だのとアホ らしい超細分化。天理教辞めて正式入会したら帰依信徒候補検討なんて言われたが当然拒否 したのが私の知人でしたっけw この前とか事件前にもいろんなステージ制度が提唱されて、 レインボーステージだとか複雑怪奇って感じでしたが、結局のところシンプルなステージが 一般には用いられてたってところですかね?? 1:サマナ見習い 2:サマナ 3:徳サマナ長仮認定候補者 4:徳サマナ長仮認定者 5:徳サマナ長(正式認定者)=サマナ長と同格 6:徳師補仮認定候補者 7:徳師補仮認定者 8:徳師補(正式認定者)=師補と同格 9:準師仮認定候補者 10:準師仮認定者 11:準師(正式認定者) 12:師 ↑ 当然聖準師制度できる前の一時的なもの、あるいは単なる案? 徳師補仮認定者 ヴァナタマー●●・パンニャ●●・ムッ●・デーヴ●● ↑ この方はこの少し後に一挙に聖準師になっておられますな。美しい方。リンク秋の陣参照 カ*****・ヴァジラ**** ヴァジラ・************ オー*****・********・******・*********・アー●ー● 荒木 浩 斉● 宣● 松● 光● 偉大な西村グルの御資料から転載(西村さんって流石に凄い資料収集力ですね。尊敬) ↓ マイトレーヤ正大師特別寄稿 第30回 未来ヴィジョンと日々の心構え (9月17日シヴァ大神祭での説法をベースに加筆したもの)←多分2000年と思われます(追記) 今日は、教団と社会の未来ヴィジョンについてお話しします。 ・・・・・・中略・・・・・・ 7)ステージ制度について ステージというのはそもそも無常です。その人が形成する良いカルマ、悪いカルマによって上がったり下がったりします。だから、ステージは、昇格降格がなければ、カルマの法則と、教団システムが合致しません。よって、今回の変更になりました。 8)周りの人がステージアップしたら自信を持て 周りの人がステージアップし、自分がアップしなかったから、自分は駄目だと卑屈になるのは、謬見解です。周りがアップしたということは、自分もアップできるという証明なのです。周りの人がアップするということは「あなたもアップできるよ」という神々の示唆なのです。他人がアップするのと、しないのと、どちらがアップしやすいか? サンガは、わずかなタイムラグはあっても、皆がアップするか、皆がアップしないかです。 9)人のせいにせずに自己を見つめろ また、自分は理解されていないからステージアップしないと言う人があれば、それは完全に謬見解です。今回のステージアップは、正悟師の会合、そして、師の全体会合を経て決めています。つまり、何十人の人の目でクロスチェックしているんですね。それで評価されているという重みは、それはそれとして感じて欲しい。 よって、まず、真剣に自分を振り返って欲しい。他人に不満を言うのは簡単です。しかし、それは、自分を高めるためにはマイナスになります。 昇格できなかった人の中で、わたしは正しく理解されていない、と考える人がいたら、それは間違っています。なぜなら、教えは、常に自分に慚愧の念を持ち、自分の善法増大、悪法減少だからです。 また、経典にも自分が正しく理解されていない場合は、自分の修行の至らなさを反省せよというのがあります。 実際、真の慈愛の実践をなしている者が、周りに恩恵を与えている者が、最終的に評価されないことがあるでしょうか。もちろん、多少のタイムラグはあると思いますよ。だから、コツコツ慈愛の実践をしていれば、最終的には結果は出ます。 10)候補制度の意味合い 候補に挙がった人と挙がらなかった人に違いがどの程度あるかというと、それには、微妙なところがあります。それは、候補とはまだ認定ではないからです。 わたしは、マハームドラーの3番目の成就者でした。ただ、1年前の下馬評では、自分よりも何人も上の人がいました。これ自体がマハームドラーだったのです。 また、90年も多くの人が、「マハームドラーの成就の当確」とされました。つまり、すぐにマハームドラーを成就するだろうという意味です。でも、その中で成就しなかった人もいるし、現在の正悟師の中では、その中に含まれていなかった人の方が多いのです。 こうして、候補になった人もならなかった人も、既に、神々のマハームドラーが掛かっているんだと思った方がいいと思います。候補制度自体が、この教団の伝統のマハームドラーです。 11)病人の人 ところで、病人の人がステージアップしないのかという話がありましたが、わたし自身は、そんな話はしたつもりはありません。説法では、病気のために、資格を与えると、その義務によって逆に苦しませねばならない場合そうします。病人でも各々ステージの基準に合うならば問題はありません。同時に、病人だからといって特別の配慮をするつもりはありません。甘い認定をするつもりはありません。心の浄化が進めば、その分、必ず体も良くなるし、心の浄化が遅れれば、体は良くならないでしょう。 12)アップした人は、感謝と恩返し それから、ステージアップしたら、それを助けた三宝と法友に感謝し、恩返ししなければという気持ちをもってほしい。そうしなければ、慢・蔑視・嫌悪により徳を消耗したり、周りに嫉妬されて前のように徳は積めなくなります。慢を持つどころか、なすべきことは恩返しです。その徳によって、更にアップする。これが法則です。 13)極限の意味合い 極限のワークを嫌がる風潮が一部にありました。最近だいぶ減っているようですが。 極限というのは、意味合いはニつあります。 一つ目は、徳を最大限に高める。 二つ目は、集中です。 説法にあるように、我々現代人は瞑想修行に集中することは苦手です。しかし、ワークには慣れており集中がききやすいという面があります。 それは持戒にもつながります。戒律を守って、エネルギーを余計なことに漏らさず、ワークに一点集中する訓練をなすわけですから。 これが、そのあとの瞑想修行の準備になります。瞑想、サマディとは集中です。集中の訓練と徳を積む訓練の二つは、サマディのよい準備です。 昔は20時間ワークの伝統がありました。瞑想修行をする前に、そのワークだけで既に、体はビリビリとエネルギーに満ちてきて、ツァンダリーが起こったり、意識が体から抜けていく、化身の体験をすることがよくありました。 14)決意 さて、出所して以来、5年のブランクのために、教団に広がる、意識構造のゆがみを理解するのに時間がかかりました。しかし、それはある程度理解することができ始めたのではないかと思います。 そして、最近、神々の祝福で、サマナの中で意識が大きく変化した人が少なからずいるようです。昇格した人に限らず、いろいろなところでそういう例があります。 そのために、MIROKUについても、大きく変化させなきゃなんないだろうと思います。そのための体制の徹底した変更を、そのうちしなければならないと思います。それは年内に行なわれるでしょう。 それは、これからますます進むと思います。今後は、一人一人の法友の心の働きに関するより深い理解に努め、大乗のヨーガの本来の意味である、法友の解脱・悟りのお手伝いを実践をしたいと思います。 サマナの意識が向上していくにはいくつかの道筋があるように思います。 つは、コツコツ教学・修行しステージを上げていきます。 もう一つはマハームドラー的なプロセス。神々の祝福で、煩悩が表面化するような環境が形成され、煩悩の苦しみを経験します。そこで、煩悩の苦しみを真に理解し、煩悩破壊します。 もう一つは、集団、すなわち教団全体の意識レベルが上がり、それによって、ある程度の煩悩破壊が当たり前になってしまう。 あと期待しているのが、新しく開発されるいくつかのイニシエーションです。これは、まだ皆さんには明かしていないものもあります。 自分の決意としては、今年のラスト3カ月、教団の真の精神改革を進めるための新しい体制づくり、そのための自分の修行をなさねばならないなと思います。 そして、少なくとも、10人の準師、20人くらいの徳師補が来年までには誕生するように、そのお手伝いに全力を尽くしたいと思います。控えめな数字かもしれないけれど、皆さん全体の努力が相乗効果を呼び、加熱してくれば、もっと多くなると思います。 |