![]() 아벨(Abel)さんのメッセージ(#20085)への返事 > これとは別の問題になりますが、アーガマ、ことに初期のスッタニパータの成立といっても > 確か釈迦入滅から何十年だったか何百年だったかは経過してたはずですよね。結集で退け > られて失われたものの中にも真実の釈迦の言葉があったかもしれませんし・・・。 最初の頃には、内容の確認をみんなでしていただけなので、 それほど問題は無かったと思いますが、分裂後に至ると、 「広増」と言って、そこに新しく色々なモノを付け加えようとする動きが出てくるのです。 失われるというよりも、後から色々と勝手に付け加えられてしまったのです。 ------------------------------------------------------------------------------- 有部や大衆部など各部派が今に残す三蔵(律蔵・経蔵・論蔵)は、さまざまに異なっているが、 それらの発展の跡を文献学的にたどると、共通した原型があることが分かる。 経蔵については、長部・中部・相応部・増支部の4部構成が各部派共通の原形であった。 その後、諸部派は、結集で集約されていない伝承を収集し、五番目の部として経蔵に追加する。 上座部大寺派も同様であり、十五書を採用して新たに小部として経蔵に加えた。 しかし、一方で同派が他の部派と異なったのは、ブッダゴーサが、 小部を追加した新三蔵をもって「すべてのブッダの言葉」であると定め、それ以降の増広を禁じた点である。 有部などの他部派では、仏の言葉かどうかを判定するのに、伝統的な「法と律」に追加して「法性」も基準にした。 それによってブッダの言葉として採用される基準が甘くなり、そのことが大乗の旺盛な経典創作へとつながっていった。 http://www.dia.janis.or.jp/~soga/bdghosa.html 参照。 ------------------------------------------------------------------------------- > アーガマを所依の経典とするって意味では桐山靖雄さんが代表でしょうけど、あそこについ > ては全然知らないのですが、どうして原始仏教と密教がつながるのか。あ、そういえば我ら > の人殺しお父様とこもそうでしたwww 私は、桐山靖雄さんを最初の師として出逢えたことを、とても感謝しています。 この出逢いがなければ、私は釈迦にもアーガマにも決して興味など示さなかったでしょうから… 原始仏教と密教は、別物です。 しかし、実は、最近の河本理治さんとの対話を通して、密教の持つ「新しい局面」が見え始めて来ているのです。 それは、私が今まで避けていた、霊障(霊についての問題)などとも関わってくる世界でした。 つまり、「業異塾果」とは何のことだろうと考えたときに、人間の意識が創りだしたモノ、 つまり神智学で言うところの「想念形態(疑似生命体)」の事がパッと浮かんだんですね。 そこから、私の中に「新しい世界観」がめまぐるしく広がっていったのです。 これまでバラバラだった、色々な知識の断片(ピース)が集まって、 「有の世界」に対する新しい「世界観(全体像)」が出来上がってしまったのです。 これは、人間がロボットを造りだした後で、そのロボットに自我意識が生じてしまい、 そこで色々な問題を抱え込んでしまう、というSFのテーマにも似ているのですけどね… もしかしたら、河本理治さんは、大日如来の「御使い(メッセンジャー)」だったのかも、なんてね… atomさんとはまた違った意味で、私にとって、貴重な出逢いとなりそうです。 |