> 結局、真我はある、という話になったの、、 和井さんと立場が異なるからぼくのほうは「真我はありうる」説になります。でも手段として、真我はないと思っておけばそれを体験しやすいでしょう 無我説といえども真我はないように断定する根拠が不明 > 麻原の擁護がしたいわけ? > 漏れが(麻原が真我が流転する)って説は 彼の無思考幇助には強く反対しますねー。なのでリスクはあっても、思索による体験を自分は重視する方針 あとそれから、流転するのは真我でなく魂(って幻)だと思われます。魂に語弊があれば自我ですかね。真我説と無我説は自我の否定が共通の目的かなと > 見たことがねえよ、と普通は言うが、麻原の家では(アタシは見た)って奴がいるわけ、、 理論上は見えないはず > 「我思う故に、我有り」という言葉があるけど、 デカルトの真意はまだよく知らぬが「思うゆえに思いあり」のほうがベターとか諸説複雑で、言葉の不完全性をあらためて感じます |