和井 恵さんのメッセージ(#19992)への返事 > 真我を、このように捉えてしまうのは誤りです。 > 何故、釈迦は「真の自己」というものを説明しようとしなかったのか? マハーヤーナの部分については夢野さんの言っておられることも和井さんの解説と同じ ようなことなのではないかというような気もするのですが、大乗系の屁理屈というかコジ ツケというか複雑怪奇な理屈は到底私には理解不可能。和井さんのご説明はいつも非常に わかりやすくて少しはわかる気がしますが。 ミクでの和井さん、映画の話とかばかりでニセモノではないかという疑心暗鬼もあったの ですが間違いなくホンモノの和井さん! 山本浣腸さんからお誘いの連絡あったのではない かと思いますが、今確認したらにご返事いただけなかったとのことでした。 重ねてですけど今日の18時に新宿駅近くで吹田の奥様を囲むオフ会がありますけどご都合 つきませんでしょうか。しつこくて申し訳ありませんが。 > それは、客観視して説明を始めたとたんに、本当の真我では無くなってしまうからです。 複数の比喩で、いろんな切り口から、それに近い概念を語るのでも駄目でしょうか? > アートマンは個の中心にあり認識をするものである。 > それは、知るものと知られるものの二元性を越えているので、 > アートマン自身は認識の対象にはならないといわれる。 自分の使ってる電脳網システムからの類推では、集合的無意識の概念の更に延長における 個と全体との関係において、フラクタル的な「個」って感じが理解しやすい気がするので すが、確かこの点に関してもお釈迦様は無記とされたのでしたっけ。ワンネスかどうかって 部分についても。 > 【アートマン自身は認識の対象にはならないといわれる。】 > この言葉の意味を、誰も本当に理解することができないのは、 > いったい何故なんでしょうかね? > 【「…でない」によってのみ、アートマンが定義されるという。】 > 釈迦は、この正統な方法に即して「五蘊無我(非我)」を説き、 > 真我そのものの説明については「無記(沈黙)」を貫いたのです。 このご説明はよく理解できます。 > 真我を客体視(観察の対象化)して、あれこれと考えることは、 > 解脱や悟りを得るための「大きな障害」になるのです。 以前上祐さんに直接質問したときも、言語化しての説明は不可能と言われましたです。 |