さっき新人類の日記に嫌味書いてきたから、見てみ、、おもしろいから 結局、オウマーというのは、あれほど説教を集めても、漏れのようには感化されないんだろうけども、理解がない奴に儲けさせてやるのは業腹だぜ、と まあ、世の中には修行に興味のない奴は多いんだから、その人らの正義感で行動すると 修行が好きな人を怒らすことには、なるのよね、、 漏れはオウムを10年前にやめたし、麻原の蛮行も許せないけど、オウムにいた間に 当然彼らは仏教やらヨガを教えているわけだから、まっとうなことも言う場合があったわけ。 だんだん狂ったけども。 そのうちのひとつで、一番考えさせられた、いわば(漏れの人生に影響のあった)説教は 以下のようなものね。 無論、麻原が自分で思いついたわけじゃないよ 釈迦の説法を引用して、わかりやすいように説いている。 ある男が、自分の将来について夢想していると 自分はこれから美しい妻をもらい、このように儲けて、このように楽しいことをなして 云々、と この男が濡れ衣でも真実の罪でもいいが、捉えられて、牢屋に放り込まれ 殺されると、、 そのとき、身体の苦痛は無論だが、(ああ、自分はこのように生きたいとは思わなかったのに 意に反して、このようになった、自分の人生はまだまだ開拓できる、楽しめるはずだったのに)と意識の苦痛が存在すると あの人とお付き合いしたいのに、できないときの苦痛はどうだ 儲けたいのに、儲からないときの苦悩はどうだ 人より尊敬されたいのに、そうならないときの苦悩はどうだ つまり、意思というのが、自分の思い通りになるときに、人は楽を感じる 思い通りにならないときに、苦痛を感じると この意思を修行のためだけに使うこと これを乗り越えたら小乗の解脱ができると 、、、、、、 まあ、麻原の言うことだから、必ずしも正しくないかもしれないし 今思うと(麻原のせいで罪を着せられ、死んでいく弟子)に対する 訓戒の言葉だったのかもしれない でも、漏れは、この説教はすごい意味があると思ったわけね しょせん、自分の人生だの自分の意志だの、大事に思っているけれど 思ったとおりにうまくいけば、嬉しくて 思ったとおりにならなければ苦しむという(そういう性質のもの)であるだけと 自分を冷徹に観察した結果、そんなものだと 問題はうまくいかないからといって悲しむことじゃなくて そういう意思の性質を見切って、そこに価値を見出さなければ その人にとって(意思は自分の支配下)になるのであって (意思に支配されて悩む)ことがなくなると、いうことだよね、、 それは非常に難しい道だけども、漏れは価値のあることだと思ったのね 完成するには、自分がすべて捨てる必要があるんで、やりたくないんだけども だって欲があるから、しかし(天然記念物)的に保存する価値はあると 西村はたくさん資料集めているけど、感性が違うのね 漏れなんかグサっとくることでも、何度聞いても、そうは思わないんだろうな んでま、感性はわかちあえないんだけども 情報は取り入れて、ひと儲けするというね、、 お馬ってのはそんなもんだろうけどね |