> この男が濡れ衣でも真実の罪でもいいが、捉えられて、牢屋に放り込まれ > 殺されると、、 > そのとき、身体の苦痛は無論だが、(ああ、自分はこのように生きたいとは思わなかったのに > 意に反して、このようになった、自分の人生はまだまだ開拓できる、楽しめるはずだったのに)と意識の苦痛が存在すると > この例は極端すぎるけども、まあ、思い通りにならないというひとつの状況ね > あの人とお付き合いしたいのに、できないときの苦痛はどうだ > 儲けたいのに、儲からないときの苦悩はどうだ > 人より尊敬されたいのに、そうならないときの苦悩はどうだ > つまり、意思というのが、自分の思い通りになるときに、人は楽を感じる > 思い通りにならないときに、苦痛を感じると > で、 本当にそのとおりじゃないかと、漏れは思ったわけ これは麻原のいうように、今が幸せな人間にはわからないのかもしれない でも、漏れは意中の男と一緒になりたいのになれないという苦痛でうめいてたんで 思い通りにならないことが、自分をうちのめして発狂させてしまうという 経験をしたわけ で、他の説教だけれども、(自分の好き嫌い、好み)ってのも 過去のデータによって決まるんだと なんかのきっかけがあって、好きになったり嫌いになったりすると 彼を好きになった日の、その前の日には、漏れは彼を好きではなかった そのときに、戻れば今の苦痛はぜんぜんないわけ、、 そう考えると(突き詰めれば、もとは無かった執着が生じて、今の苦の原因となった)と 彼に会わなければ、とか 今はもう夢中で戻れないが、しかし以前は彼なんて知りもしなかった てことは、与えられたデータでもって、翻弄されているのが人間だと、、 つまり、断言すれば、人間が何かを欲しがるなんてのは 本来要らないはずのものを、必要だと感じてしまった、好きになってしまったから 生じるんだと それを釈迦は(毒蛇の頭を踏まないように気をつけるように、欲を回避せよ)と 言っている それを怠る人間は、あとで苦しむと、、 漏れはね、仏教にはいいところが一杯あると思うのね それを(実際自分の足で歩いて、完成させるのが難しくてみんな挫折する)けども おおいに価値はあると、、 で、ま、仏教なんか何の価値があるのかわからん、っていう西村に オウムネタで儲けさせてやるのも業腹だぜ、と思った次第 オウムは犯罪したし、ひどいからいいんですよ、けなせばね しかしね、修行の価値にケチつける人間が、漏れらをおもしろおかしく観察して 本書いて儲けるのはね、、 不信心極まりない 言ってもわかんないのね 暗くて深い溝があんのね 別にどっちが偉いってんじゃないけども、自分が嫌いだからって おもしろそうに眺めないでほしいのよね んで儲けるってのはね 不遜だよ |