![]() 聖者ぼんちリンポチェさんのメッセージ(#16185)への返事 > 例えば、「私の心」と「私の魂」、 > この2つは同じか、違うか、という問いを発した場合、 > 同じだ、という人もいるだろうし、違う、という人もいるだろうと思います。 > 違う、という人の場合、 > 中には(オウム式に言えば)「データで汚れた結果の意識」と > 「汚されていない本来の自分」という違いを思い描いている人もいるでしょう。 天理教の現場の多くの信者の素朴な理解としては、心とは表層の心を主体としたもので あり、一方漠然とした潜在意識、超潜在意識、何よりも輪廻の主体としての実体的な存在 が魂、・・・ま現世の一般的な理解と同じ・・・なんでしょう。 > その「輪廻の主体」という言葉が、 > 「輪廻している意識の黒幕」という意味で使われているのなら話は別で、 よくサマディに入った状態を見ている「何か」という表現されることもあるようですが、 多重的多階層的に、そもそも意識っていう概念が非常に難しくて・・・ Aで輪廻を超えて持っていけるものとして、功徳、修行上の経験、確か合計四つでしたっけ あと忘れたw この話とはどう関係するのでしょ? > 魂の実在性については単純にこう考えればいいと思います。 > 「今ある。しかし、1分後あるかどうかはわからない。」と。 > なぜなら、今生最初の「記憶している場面」以前は、 > 覚えてない以上自分では魂、つまり思考する性質を有する実体、というものが > あったのか、なかったのか、自分に対して立証することは不可能でしょう? これは刹那滅だがカルマの形成によって連続し、輪廻の中でも継続していくという意味 なんでしょうか? アーカシックサーバのデータとして残り、それが今生のクライアントのOSの設定に影響 してる、っていうような非常にシンプルな比喩でも理解できるかと。ま、凡夫外道式の 素朴な魂観とほとんど変わるところがないかもしれまへんがwww 写真は本文と何の関係もおまへん |