彼が引用していた、 元看護士のBLOG「中高年編 学ぶ喜び」より http://harmonia.way-nifty.com/blog/ 物凄い長文ブログだったが、ここのテーマになっている「21世紀高野山医療フォーラム」 というのは、2007年の8月31日〜9月2日にかけて高野山で非常に盛大に挙行されたプログラム であったようだ。こういう会が開かれることは知ってたが、我が友人の某氏は、どうせ糞 ゼニゲバ既成仏教主宰の会なんて・・・、と参加しなかったみたいwww 登場人物が、ざっとあげただけで、養老猛、山折哲夫、柳田邦男、松永友慶・・・という 超豪華版、オウマー界にたとえるなら、西村某、某ヅラ弁、某浣腸、オリーブ某等々という メンバーに匹敵するwww 一寸参加者の発言を引用すると 柳田氏;・仏教と地域活動が一つのテーマにならないか? ・日常生活の中でお寺が社会に開かれることが必要 田村氏;・お坊さんが病院に来る事に対して医療者の理解も必要 山口氏;・病院が宗教に門戸を開く必要が有るのではないか? 村田氏;・今回のフォーラムにお坊さんが少なくて、医療者(特に看護師)の参加が多い のは、現場で看護師たちが苦しんでいるからであって、坊さんは苦しんでいないからではないか? 柳田邦男氏は我が知人も面識あるそうにて、いつも非常に鋭い視点で医療界に対してアド バイスされる方だが、一寸この問題については現状分析場甘い。 次の二人も抽象論。そもそも真言系の一部のグループではビハーラ運動とかいって仏教ホス ビス的な施設を運用したり、我が知人が地元の真言を中心とするお坊さんと勉強会やってた ときにも、坊さんが病院でスピリチュアルケアに携われないか、という問題は非常に真剣に 取り上げられたこと。全国的にこういうことは結構考えられているのが現状であろう。 ただ、そのとき問題になったこととして、病人は「坊さん、袈裟=葬式」という観念を確固 として抱いているので、生きている人のケアは現実問題として困難。「坊さんが来た=死ぬ」 と悲観されて逆効果・・・ということだったが、まあ一部の現実として、病人のケアなんて 苦労多くて金にならない、というホンネもあるのでせうな。 「高野山大学では心理療法の講義は無かった」という発言があって、場が冷え込んでしまった 記憶が鮮烈。大下何とかとかいう元気な坊さんを呼んで講義してもらったこともあったけど、 伝統仏教が生きている病人の心のケア、ましてや社会における高齢化・医療問題に対して 積極的にかかわっていこうなんて、現実にはほとんど不可能なんでしょ。 金余りの時代に濡れ手で粟の医療を実践してこられた「医師会」のお偉いせんせ達は、 現在の「医療崩壊」に対して何も発言できない、そりゃぁ医療崩壊の一方の戦犯そのもの なんだから・・・、といった現実と、「超豪華講師」集めて大々的にイベント打った高野山 真言宗の姿がオーバーラップして見えるwww 若い看護師の参加が多かったそうだけど、まあ保険効くケアは医療関係者の個人的なボラン ティア的な部分に依存するところが多いし、保険利かない巷の業者とか宗教というシステム は余りにも高価だし・・・。第一、宗教なんて「病気治す」ことしか語らないwww 要するに、「宗教」=金、 高野山真言宗も沢山金あるなあ・・・・w こういう「熱心な若い看護師」っていうのが <font size="+2" color="red">銀・看・保</font> といってカルトの餌食 になるんですよね。中途半端に正義感とか持っちゃってさ、嗚呼 ってなことが、私の経験と彼の経験をプラスするとよく見えすぎて酒でも飲まないとやっと られんということになるとwww ねえ、西村さん、高齢化から全てが崩壊しつつある社会変革のために、二人で党にでも 入って赤旗勧誘の下積実践にでも余生捧げまへんかwww ヅラ弁もご指導下さるかとw ↑ 宗教研究をビジネスに繋ぐ能力無い者の僻みw セガさんのビジネスセンスが羨ましい |