![]() > > 元のいんねんというと天理教。横浜天理ビルの近くのホテルですが、天理ビルとはまあ何と > > おそろしいビルなんでせう。金あるんですね〜、宗教団体ってどこでも。 > > 今の宗教団体って「金銭欲」に汚染されていますよね。 > 「布施功徳」というものを悪用しているところが多い。 「布施功徳」というものについて、今回だけ少し説明しておきたいと思います。 まず、功徳(福)には二種類あるということをご存じでしょうか? 「世間福」と「出世間福」。 つまり、現世で役に立つような「結果」を形成するエネルギーと、 修行において「成就」に役に立つような「結果」を形成するエネルギー。 何かの「結果(果報)」を求めて行う布施は、そのほとんどが「世間福」を生み出します。 そして、「無償の布施」だけが「出世間福」を生み出すのです。 それでは、「無償の布施」とはいったいどのようなものなのでしょうか? 「見返りを求めない布施」などと言っても、ピンときませんよね。 それは、例えばこういうものなのです。 喩えばここに、おじさんと女の子がいた、と。 おじさんは、その女の子が大好きで、その子の笑顔を見ることが幸せだった。 だから、女の子のために色々なモノを買ってあげたり、便宜も図ってあげたりしていた。 そうすること自体が、そのおじさんにとって「幸せなこと」だったのだ。 これを世間では、その女の子に「嵌(はま)っている」だとか、陰口をたたくかも知れない。 しかし、この状態こそが、「無償の布施」に最も近い形なのです。 「それを行うこと自体が楽しく、喜びである」という布施。 つまり、その行為を行うと同時に「結果(喜び・歓喜)」が現れるという布施の形。 ガティカーラ経に出てくる記述を思い出してみてください。 そこに登場する信徒は、布施をすると同時に、素晴らしい歓喜状態に包まれ、 それが何日間も続いたと書かれてあったはずです。 そして、この布施によって起きる「歓喜状態」こそが、 その人の心身の「浄化」を飛躍的に進めて、 その人を「解脱」「悟り」へと近づける「特殊な効果」を生み出すのです。 しかし現代では、このような実践を行っている個人や団体は、 本当にごく希(まれ)にしか存在しないでしょうね。 PS.これから今週いっぱいにかけては、月末の仕事が忙しくなるため、 MIXIに何か書き込む以外は、ほとんどネットでの活動は出来ないと思います。 |