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#14502 2008年6月22日(日)01時54分
From: 聖者ぼんちリンポチェ
Subject: Re28:阿羅漢に堕落はあるのか?
YASUさんのメッセージ(#14500)への返事

> 何ヶ月か前にここで、
> 元芝さんが「苦」も喜びとなるようなことをお書きになっていた記憶があります。

あのう・・・・・・
それは「苦」じゃないっすよ。
一般的にはこれが起きたら「苦である」と認識されるような現象、
のことだと思いますがね。

「苦」はどこまでいっても「苦」です。
一般的に「苦」とされる現象が降りかかってきても、
それをタントリスト的に価値転換できたり、
釈迦のように「苦」のシステムでなくなったりしている人間がいて、
それを「苦」と認識しなかったらそれまでだと思いませんか?

もちろん、タントリストが現象を受け取った当初に、
「お、これは苦だな」と認識しちゃうこともあるかもしれないけれど、
それが最終的に楽とか喜びとかになっちゃったら、
結局「苦」が「苦」として機能しなかったことになりますから、
それを「苦」と最終判定できるかといったら少し疑問です。

少なくとも今ここで語られている「苦」というのは、
このまま味わい続けても「苦の集積」にしかならないもののことでしょう。
言い方をかえると、今の心のシステムではいつまでたっても
「苦」としか感じられないもののこと。
つまり、逆にそうとしか感じられない心のシステムについて語っていると、
そういうことです。

> まあ、アングリマーラの場合は、苦を喜ぶどころではなかったと思います。
> 托鉢に行けば、物が飛んできたんですから。

オウム出身者のくせに、何をトチ狂ったことを・・・。
大抵の人は、そして阿羅漢でも阿羅漢になる前は、
物が飛んできたら「苦」ということになったはずです。
それが今や何が飛んできても「苦」ではなくなっている。
「苦を」というよりも、自分の状態に喜べるでしょうよ。

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