YASUさんのメッセージ(#14500)への返事 > 何ヶ月か前にここで、 > 元芝さんが「苦」も喜びとなるようなことをお書きになっていた記憶があります。 あのう・・・・・・ それは「苦」じゃないっすよ。 一般的にはこれが起きたら「苦である」と認識されるような現象、 のことだと思いますがね。 「苦」はどこまでいっても「苦」です。 一般的に「苦」とされる現象が降りかかってきても、 それをタントリスト的に価値転換できたり、 釈迦のように「苦」のシステムでなくなったりしている人間がいて、 それを「苦」と認識しなかったらそれまでだと思いませんか? もちろん、タントリストが現象を受け取った当初に、 「お、これは苦だな」と認識しちゃうこともあるかもしれないけれど、 それが最終的に楽とか喜びとかになっちゃったら、 結局「苦」が「苦」として機能しなかったことになりますから、 それを「苦」と最終判定できるかといったら少し疑問です。 少なくとも今ここで語られている「苦」というのは、 このまま味わい続けても「苦の集積」にしかならないもののことでしょう。 言い方をかえると、今の心のシステムではいつまでたっても 「苦」としか感じられないもののこと。 つまり、逆にそうとしか感じられない心のシステムについて語っていると、 そういうことです。 > まあ、アングリマーラの場合は、苦を喜ぶどころではなかったと思います。 > 托鉢に行けば、物が飛んできたんですから。 オウム出身者のくせに、何をトチ狂ったことを・・・。 大抵の人は、そして阿羅漢でも阿羅漢になる前は、 物が飛んできたら「苦」ということになったはずです。 それが今や何が飛んできても「苦」ではなくなっている。 「苦を」というよりも、自分の状態に喜べるでしょうよ。 |