![]() 今日は、印仏板の過去ログを見るついでにコピーもさせていただきました。 atomさんとか初期の頃とか・・・。 聖者ぼんちリンポチェさんのメッセージ(#14498)への返事 > 和井 恵さんのメッセージ(#14489)への返事 > > > 後世の「部派仏教」の愚僧たちが、机上の空論を練り上げて、 > > 「何とかアソウギ十万カルパ」の修行が必要だなんて決めつけたりしたから、 > > 変な「誇大妄想的なイメージ」が憑いてしまったんですよ。 > > こう言ってはなんですが、 > 「三劫成仏」とか「4アサンキャ10万カルパ」とかって言われたら、 > もういいや!って気分になりますからね。 > 絶対に1日1円しか貯金できないことがわかっているのに、 > 1兆円の貯蓄を目指すバカはいません。 http://www.geocities.co.jp/WallStreet/1733/aum-3/nagita-1.html に、「阿羅漢」=五上分結を断じた者、「不還」=五下分結を断じた者という、 和井恵さんの定義が載っていました。 今も、変わっていないんですね。 でも、お釈迦様と他のサーリプッタ以下の阿羅漢との区別が未だに分からないです。 オウム流にいえば、阿羅漢成就後にニルヴァーナに入り、 ニルヴァーナから落ちてきた後の輪廻転生の回数や期間の差なのか? そもそも、ニルヴァーナは無色界の一部かそれを超えた世界か? それにしても、現役信者でこれが分かる人っているのかしら? > > 「弟子達の告白」という教典に、沢山出てきますよね。 > > 多くの弟子達の、喜びに満ちた「確信」を宣言する言葉が… 「岩波文庫」の『仏弟子の告白』に載っている、この弟子たちというのは、 全員、「阿羅漢」ではないですか? > まあ、借金の取立てから解放された人の安堵感とある種似ていて、 > しかもさらに大きいものなのでしょう。 > 人間に限らず、どんな生命体でも、 > 一番嫌なことは「苦しむこと」なわけで、 > それがもう絶対に起こらない、というのだから並大抵の喜びではないでしょう。 > もし「絶対幸福」というものがあるとしたら、それのことだと思います。 何ヶ月か前にここで、 元芝さんが「苦」も喜びとなるようなことをお書きになっていた記憶があります。 そうなると、アングリマーラのような者は別として、 同じ「阿羅漢」でも苦を喜ぶタイプもいたんじゃないですか? オウムでも、「自己の苦しみを喜びとし、他の苦しみを自己の苦しみとする」 という苦の詞章があるでしょうに。 まあ、アングリマーラの場合は、苦を喜ぶどころではなかったと思います。 托鉢に行けば、物が飛んできたんですから。 |