下記はミクシィである方とメッセした内容で、私の返信です。 おさむさんのリクエストにお応えして掲載致します。 以下、転載。 (>の部分は相手の元投稿) > しかし、Hさんの件もそうですけど、輪っかって > 組織防衛ばかりが過剰じゃありませんかね。一時は > 救いを求めてきた仲間だったというのに、抜けて > しまえば警察は呼ぶし、ミクシでは変人呼ばわり。 > 救済だとか社会貢献だとか、綺麗事ばかりで、 > 実践は皆無、結局のところ小乗なんだろうなって > 感じてしまいます。 これには根本的な原因があります。 しかし、その原因を前提として追認してしまうのであれば、 「結局のところ小乗」なのは仕方が無い、 という、一見擁護論しか出てきませんね。(笑) では、原因を前提として追認しないために、 その原因の方に批判的解釈を加えてみましょう。 その原因とは、オウムが「タントラ教団」だったことです。 この手の教団は「秘密結社化」する傾向があり、 その秘密主義ゆえに小乗的になってしまうのです。 もちろん、この「形態」が輪っかに当てはまるわけではないと。 しかし、もとはといえばそんな「学校」の「卒業生」です。 多少その色合いは残ってしまうでしょう。 実はこれ、徳川将軍家初期の状態に似ています。 確かに上祐さんは秀吉死去までの家康の性質を尊敬し、 何かと家康と自分とを結びつけ、お手本に考えているのですが、 将軍家初期という観点から見ると、 実はその時期の家康は尊師に該当します。 分断主義で秘密主義、これはある程度教団が大きくなった頃から、 教団運営の方法として実践されてきたものです。 隣のデスクでワークしている人のワーク内容すら知らない、 知ろうと考えてもいけない、という状態でした。 で、将軍家には家康が大御所として暗躍した時代がありました。 しかし「オウム」にはそれらしい時期がないまま、 上祐さんが「2代将軍秀忠宣言」した輪っかの独立があったと。 そして、今徐々に合議制中心になってきていますが、 秀忠の時代が合議制だったようです。 これで尊師が目指し、残していったものの整理をし、 後は年齢的に上祐さんが「3代将軍家光宣言」できるか、 あるいは後継者による「家光宣言」となるか、 ともあれ家光の登場で本格的な実践段階に入るかな・・・ というのが私の予測している今後の流れです。 もちろん、もう一つの見方として、 尊師を秀吉になぞらえ、淀殿がヤソーダラー正大師、 秀頼がアーチャリー正大師、石田三成がアッサージ、 みたいな見方も可能です。 そして袂をわかって独立、開幕した家康が上祐さん、と。 この二つの見方がダブる形で現象が進行しているようです。 ただ、いまひとつ輪っかの勢いが弱いのは、 前者の見方による上祐さんの秀忠的性質のためです。 ともあれ、誰かが家光になったとき、 それまでは多少実践が伴わないことについては 温かく見守る、しかないでしょうね。 ちなみに、家光時代になっても実践が伴わなければ、 先は見えた、長くない、というところでしょう。 |