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#29811 2009年12月13日(日)09時49分
From: 和井 恵
Subject: Re2:  試論

夢野さんのメッセージ(#29804)への返事

> > というか、誰もが例外などなく「特別の(かけがえの無い)存在」なのだ
>
> 世界に一つだけの花♪
> ぼくは陰謀についての勉強をするうち、普通のヒトが天使に見えはじめたんですね。
> 陰謀論は役に立ちますよー

縁起(相対性)というものを、相互依存と捉えるのか、相互補完と捉えるのかによって、
その事象に対する認識や、その利用の仕方(使い方)は変化します。
ケース・バイ・ケースですけどね…

> > 「カルマ論を熟考する」という意味
>
> 哲学では基本・当たり前な認知ですが他者を直知できないというテーゼ。
> これはカルマ論でも、すべては自分の反射だとするからどちらも同じ。

投影業とか反射業とか言うものですか?
これも、自己を省みることのみに利用すれば利益となりますが、
他人の為す行為への批判や分析の材料として使ってしまうと、道を誤りますよね…

> 信徒はグルに自分を見、その自分を信じる(無意識に絶対化=エゴを強める)リスクを背負いますね

自己に内在する清らかなもの(聖なるもの)の象徴(顕れ)として観ることかできれば、
別に問題は無いのでしょうけどね…

> カルマ論は理解すれば無数のメリトがあるんですが、信じるだけぢゃ無智にもなるでしょう
> (無思考ははたして宗教の宿命か)

仏教には心解脱(清浄の道)と慧解脱(智慧の道)があるんですけどね…
苦を滅するだけなら、清浄の道のみでもOKなんですけど。
在家の修行を正しく実践するためには、智慧の道は不可欠だと思います。

> グルが本質的には自分(を映すにすぎぬ)ならたとえば依存から自由になります、気づけばの話。
> 別のヒトを鏡に、自分のカルマや仏性を引き出してもよいのだし

それをするのならば、密教のように理仏(無相を理論的に特相に変化させた象徴)を使った方がいいかも…

> 「縁起」も鏡の論理に通じる処がありましたっけ

それは無いと思いますよ。
カルマ理論と縁起の理は、本質的に違うもの(縁起は無相・無我が基本)ですから。
カルマ理論は、アビダルマなどをベースとした有相唯識的なものに近いのかも知れませんね。

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