![]() 夢野さんのメッセージ(#29804)への返事 > > というか、誰もが例外などなく「特別の(かけがえの無い)存在」なのだ > > 世界に一つだけの花♪ > ぼくは陰謀についての勉強をするうち、普通のヒトが天使に見えはじめたんですね。 > 陰謀論は役に立ちますよー 縁起(相対性)というものを、相互依存と捉えるのか、相互補完と捉えるのかによって、 その事象に対する認識や、その利用の仕方(使い方)は変化します。 ケース・バイ・ケースですけどね… > > 「カルマ論を熟考する」という意味 > > 哲学では基本・当たり前な認知ですが他者を直知できないというテーゼ。 > これはカルマ論でも、すべては自分の反射だとするからどちらも同じ。 投影業とか反射業とか言うものですか? これも、自己を省みることのみに利用すれば利益となりますが、 他人の為す行為への批判や分析の材料として使ってしまうと、道を誤りますよね… > 信徒はグルに自分を見、その自分を信じる(無意識に絶対化=エゴを強める)リスクを背負いますね 自己に内在する清らかなもの(聖なるもの)の象徴(顕れ)として観ることかできれば、 別に問題は無いのでしょうけどね… > カルマ論は理解すれば無数のメリトがあるんですが、信じるだけぢゃ無智にもなるでしょう > (無思考ははたして宗教の宿命か) 仏教には心解脱(清浄の道)と慧解脱(智慧の道)があるんですけどね… 苦を滅するだけなら、清浄の道のみでもOKなんですけど。 在家の修行を正しく実践するためには、智慧の道は不可欠だと思います。 > グルが本質的には自分(を映すにすぎぬ)ならたとえば依存から自由になります、気づけばの話。 > 別のヒトを鏡に、自分のカルマや仏性を引き出してもよいのだし それをするのならば、密教のように理仏(無相を理論的に特相に変化させた象徴)を使った方がいいかも… > 「縁起」も鏡の論理に通じる処がありましたっけ それは無いと思いますよ。 カルマ理論と縁起の理は、本質的に違うもの(縁起は無相・無我が基本)ですから。 カルマ理論は、アビダルマなどをベースとした有相唯識的なものに近いのかも知れませんね。 |