![]() 神風代理人さんのメッセージ(#29694)への返事 > 一元の法則に向かって、まだまだ遠い道のりだ。!! > 息を引き取るまで、無理なのかも。? > と考える昨今です。 そんなこと無いですよ。 自己を根本として、自己のして欲しいことを他に施し、自己の嫌がることを他に為さない。 そして、布施と言っても「無財の七施」のような「安心施」を中心にして考えれば善いと思います。 (お金が絡むと、関係が浄く無くなってしまう場合が多々ありますから、注意が必要です) 注意すべき点は、「無理をし過ぎないこと」。 オウムの教義では、自分が苦しいときにこそ布施の極限をするのだ、と言っていました。 そうすれは、自分が最も苦しいときに(困っているときに)その果報が返ってくるのだ、と。 しかし、この考えが間違っていることは、ちょっと考えればすぐに解るんですよ。 (私はオウムにいた頃から、この矛盾には気づいていました) オウムの説く「カルマの法則」では、自己の為した行為が、 そのまま相手の為す行為として後になって戻ってくる、というもの。 この法則に則ってそのまま考えてしまえば、自分が無理をして一生懸命相手に安心施を与えたとすると、 後になって、(自分のその時の状態とは関係なく)その人(相手)自身がテンパッているのに、 無理をしてこちらに安心施をしようと必死になっている人と出会ってしまうというカルマを造るのです。 でも、必死になって無理をしている人が、本当に相手を「安心」させることなど、出来るのでしょうかね? つまり、「困難な状況」という条件は、最初は自分に付属しますが、 返ってくるときは、「為したことがそのまま返ってくる」のならば、相手の条件として付属しているはずなのです。 それよりも、自己の心を安定させて、本当に困っている人を見極めて(押しつけとしてではなく)、 相手の苦を取り除いて安心させる、あるいは和ませ安らかにすることの方が、よほど優れた行為ですよね。 このように、オウムでは行法面では観るべきものもありましたが、教学面では「突っ込み処満載」でしたね… |