神風代理人さんのメッセージ(#29211)への返事 > 一休和尚さんの言われている意味は、言葉の上では、理解できるのですが、何か!?、心の中で、違和感があります。 > それをせんじつめて見ると、生まれ育った環境が、大きく作用していることは、確かです。 > それと年代の格差も否定できない。 > と思います。 > 現代社会の人間関係、あまりにも、利害がついて周ります。 > 町内会の付き合い、一つとっても、うんざりします。 だとしたらおそらく、友情以前に、 「尊敬する」ということがどういうことなのか、 という定義からして、私達の間にかなり差があるんでしょうね。 > ヤツガレ、ここ八年高野山に御詣りしていて、 > 何か、しっくりしないものがありました。 > 四歳位の頃から、祖母に手を引かれて、高野山に御詣り、 > 幼い頃から、身に付けた作法、 > 何か、欠けている。 > と、しっくりしないものが、心のなかにありました。 > 一休和尚の所作から学びました。 > やはり、それが一人の人間に対して、僧侶に対する尊敬であり、 > 礼儀ある接し方しか考えられない。 > と思います。 まあ高野山の坊さんを自認する奴で、 一の橋(あるいは中の橋の入口)、御廟橋で中礼しない奴がいたら、 逆にどつきまわさねばなりますまい。(笑) その意味では、あれは自衛行為でもあるのですよ。(笑) 特にあの時の私の衣装たるや、 空衣に白袈裟という、法要の衣体でした。 あの日、あの時間帯に白袈裟で奥の院をうろうろしてるなんて、 大学の報恩日法要に出仕した大学関係者だけです。 身分バレバレですから、他のことはともかく、 中礼みたいな目立つ作法くらいはしないとやばいですよ。 もっとも、私は平服で行ってもやってしまい、 好奇の目をまともに食らってますが。(笑) |