神風代理人さんのメッセージ(#29132)への返事 > 心臓移植をしなければ死ぬ。 > と言われた時、あなた方の友達、親友は、貴方の為に、心臓を提供してくれますか? > そして、貴方は心臓を提供してもらいますか。? > 貴方は、友達、親友に心臓提供を断ることが出来ますか。? あの、そういうのを親友とかの基準には出来ないと思います。 腎臓みたいに一つあげても大丈夫なものなら、 あるいは基準にしてもいいかもしれませんが。 > ヤツガレの考え方は、独善的で、常に極論になりがちですが、ヤツガレには、友達、親友は、いません。 独善的というより、もし上記のように考えておられるのだとしたら、 明らかに友達、親友という言葉の意味を誤解してるのだと思います。 その状況設定で判断するなら、 ある人が若くして死なねばならない状態であることを、 本気で悲しみ、苦しむことが出来るか、でしょうね。 それこそ、この基準を当て嵌めると、 心臓提供することは友情否定にもなりかねませんよ。 まず、自分の心臓を提供し、自分が死んだら、 相手にどれほどの負の遺産を背負わせることになりますか? 例外はあるのでしょうが、普通の事例だとしたら、 相手を負の遺産の重圧に喘ぐ後半生を強要することになります。 それが親友にしてやりたいと思うようなことですか? また、相手が心臓をくれると言ったからといって、 重圧に苦しまずに生きていけるとしたら、 その相手を親友と認識していると言えますか? > 皆さんに友達、親友はいますか。? > その基準も併せて、教えてください。 利害を越えたところが、その関係の主たるものである、 というところでしょうか。 心臓云々は、一見利害ない間柄であるようでいて、 その実利害が極まった話であると思います。 恋愛の世界ならまだありな話かもしれません。 そもそもが相手に対する強い欲望がその原動力ですから。 強い非難を浴びせるようで恐縮ですけど、 友情を心臓云々と考えてる人が存在する、 ということ自体、大変に悲しいことです。 どれほど他人を信じてはいけない環境で生きていたのか、 考えただけで気が滅入ってしまいます。 |