おさむさんのメッセージ(#28078)への返事 > いえね、わたし最近、とても嫌なことがありまして・・ > コレも運命と受け入れたら(=逃げる、忘れる)、楽になれるかな、 > or徹底的に嫌な原因と戦うのがよいのかな、 > とても迷ってもいるのですよ > つまり元芝さんへの批判ではないと > 逃げるもよし。 戦うもよし。 通り過ぎさせるもよし。 全てご自分のなさりたいように。 悔いだけは残さずに。 > > これって、実は「法」とか「真理」とか呼ばれているものもそうですよ。 > > ↑は麻原オウムの真理とどう違うのでしょうか 真理だって絶対ではない。 という意味においてです。 この世に生きているかぎりは絶対、絶対の真理なんて存在しません。 唯一存在するのは「『絶対』は存在しない、という絶対」があるだけです。 だって考えてもみてください。 ニルヴァーナという絶対世界(一元世界)があるならば、この世は非絶対世界(二元世界。あるいは選択世界)です。 前者は、サット・チット・アーナンダ、絶対自由・絶対幸福・絶対歓喜の世界です。 絶対というからには絶対です。 この『彼岸』にしかそれは無いと釈迦牟尼も説いています。 ならば、この世においては高度な「真理」は説けるけど、この世のものである「言葉」を介する以上「絶対真理」は説けません。 そもそもこの世は二元世界だから絶対のものは持ち込めない。 それは彼岸のものだから。 麻原の間違いは自分の教えを「絶対のもの」として説いたことにもあります。 仏教の二諦にも説かれるように、この世にある以上は「世俗諦」を越えることはできません。それが仏教であれ他宗であれ。 勝義諦(真理)はニルヴァーナ(言葉を越えた世界)にしか存在しないからです。 |