降幡賢一/著 朝日新聞社 オウム法廷 上 グルのしもべたち オウム法廷 下 グルのしもべたち 朝日文庫 オウム法廷 2〔上〕 朝日文庫 グルvs.信徒 上 オウム法廷 2〔下〕 朝日文庫 グルvs.信徒 下 オウム法廷 3 朝日文庫 治療省大臣林郁夫 オウム法廷 4 朝日文庫 松本智津夫の意見陳述 オウム法廷 5 朝日文庫 ウソつきは誰か? オウム法廷 6 朝日文庫 被告人を死刑に処する オウム法廷 7 朝日文庫 「女帝」石井久子 オウム法廷 8 朝日文庫 無差別テロの源流 オウム法廷 9 朝日文庫 謀報省長官井上嘉浩 オウム法廷 10 朝日文庫 地下鉄サリンの「実行犯」たち オウム法廷 11 朝日文庫 坂本弁護士襲撃犯 オウム法廷 12 朝日文庫 サリンをつくった男たち オウム法廷 13 朝日文庫 極刑 上記裁判の様子をつづったものです 是非読んでください 小説本サイズで一冊八百円くらい 漏れは図書館で借りて読んでます ======================= 283 神も仏も名無しさん 2009/04/05(日) 00:09:15 ID:AzUIR1AU オウム法廷 女帝石井久子より抜粋 弁護人は95年3日20日の地下鉄サリン事件以前から教団への強制捜査の 可能性が高まるたびに、被告(ケイマ?)が何人かの取り巻きと一緒に 各地を転々とする逃亡の旅をはじめていたその第一の理由は (子供たちの存在がわかるし、わたしのこと(このとき三度目の妊娠中で ほとんど臨月だった)が警察にわかってしまうことだった)と被告に述べさせた後 まず被告(ケイマ)と教祖との関係について次のように聞きただしている。 なぜ、子供を連れ出すのが重要事項かーー (やはり強制捜査が入れば私に子供がいることがわかってしまう。オウムのサマナにも 話していなかったので、警察が入ってその話が外で出てしまう。それはまずいことなので) なぜ子供がいてはいけないか、教義上理由があるかーー (まあ、、そうですね、、一応あの、オウムの教義としては性欲の戒があって 出家したら性的観念は絶たなければいけないという前提がありましたから) ーー子供ができたこと自体がいけないとーー 基本的にはそうです ーー麻原さんは出家していないからいいんですかーー 在家だからいいんです 285 神も仏も名無しさん 2009/04/05(日) 00:10:44 ID:AzUIR1AU ーー石井さんは出家しているがーー 話は複雑ですが、途中からセイゴシ制度ができている。セイゴシになったら 結婚していい、という決まりだったので、セイゴシ同士とかは認められていた。 (その例は結局)一例もなかったが、私自身はセイタイシだが、教祖である 麻原さんとということなので、、ちぃっと問題がいろいろと ーーセイゴシの結婚は麻原さんが便宜上付け加えたものかーー そうです、途中から出てきました。セイゴシでの結婚が認められるのは 性欲が戒められていましたから。欲望に反したものが怒られるとかいうことは ありました。実際には一例もない、名目みたいなものです。 ーー麻原さんは結婚してる、石井さんとの結婚は不可能ですね。その問題もあって やはり隠すということになったのかー やはりあります。世間的には不倫になってしまう。サマナ、信者に説明するのも 大変なことですし、説明したとしても不信をもつ人が出てくるでしょうし、その辺、 むずかしいことでした 思い切って秘密を語ったのは、地下鉄サリン事件の実行犯である広瀬横山とサリン製造役の 遠藤らに事件翌日に逃走資金を渡した、とされる犯人隠避罪にちて、そもそも被告は 教団の事件への関与をしらなかった、と主張するためだった。 286 神も仏も名無しさん 2009/04/05(日) 00:12:19 ID:AzUIR1AU ーーKさん(同じ第一サティアンに住み、教祖の子供を産んだ信徒。非公開の法廷で 証言した。匿名にする)の話では、麻原さんがきて、地下鉄の話をして 他人事のように、(こわいねえ)と言ったという話だったがーー その話はーー略ーー (漏れの注、ここらはケイマが地下鉄サリンが起きたのを教団のせいではなく 外部のもののしわざと信じきっていた、などという話) あえて聞く、石井さんが妊娠したのはいつですかーー 91年の前半くらいです。後期の92、二月に流産したが、かなり身体的に つらかったし精神状態も悪かった ーー教義として認められたのかーー いろいろ条件が重なっていて、私の制限住居は東京で、東京からは動けなかったので 妊娠出産は東京でしなければいけなかった。 ー略ー水も麻原さんの触れたものは甘露水になるし、妊娠もイニシエションだと 言われていたがこれは他の人を納得させるのも大変だった。奥さんの知子さんのこともあり 結局内緒にと麻原さんに言われた。 こどもは麻原さんの血が入っているから神だということで私も崇め奉る名誉なこと 一大仕事なんだと言われた。隠さなければならない名誉なことと思い込まされていた。 病院にもいけませんでしたから、診察もしてもらいたかった。 病院にいきたかった。しかし触れることはイニシエションで、エネルギ交換だということが オウムでは教義の中核にあり、オウムではない者に触れさせることはとんでもない かといってサマナの出入りする付属医院ではとんでもない、そのまま我慢してほしいと 言われた。それに秘密のままでは教団にもいられないかもしれないと大変に不安でした。 287 神も仏も名無しさん 2009/04/05(日) 00:16:54 ID:AzUIR1AU 初めての妊娠で不安もあった、状況も悪かったーー 体の状態が悪かったし、精神状況も悪かった。一度も病院にいけずに流産した。 それは、オウムのお医者さんでも、私より下のステージでは触れてはならない。 サマナ同士が触れるのも低いものが触れることは許されない、ということで 診てもらえなかった。部屋の出入りをするのはお世話の人以外禁止されていたし 麻原さんは教団内の情報や今後の計画、任縁関係などの話もまったくしなかったので 私は経理の仕事もしなかった。 ーー結局流産してしまったがその後はーー なかなか快復しなかった。身も心も、結局このまま死んじゃうわけだから、と ノイローゼ状態だった ーー麻原さんの血筋は神の子というようだが、それは麻原さんの発想かー 知子さんの子の三女と次女がそうだ、とオウムの機関紙に載った。 すごくステージが高いとされていた。88、89年くらいだとおもう。 ー三女が後継ぎとされていたーー そうです、麻原さんもそういっていたし、教団内ではそう思われていた ーー三女が後継ぎかー 80何年かに機関紙に三女のことが載ってからしばらくたって やはり女性が教団を継ぐことはできないから、三女はステージが高いので 一応三女を立てておいて、教祖としてIさん)後の教団法皇感冒の実質的トップ 当時は在家信徒)を教祖に充てることにしたら、という話を麻原さんが したことがある。三女のことを言い出した跡に実質、Iさんを出家させたか 覚えていない。−略ー ーところが92年に知子さんに男の子が生まれる。それから考え方が変わったか。 長男が生まれ、これでIの教祖説はなくなったな、と麻原さんが言っていた ーー略ーー 総本部に戻ってからはお供物作りをし、実質的に経理を担当したのは村井元幹部だった、と いうのが石井の主張である。二回目の妊娠は93年春。周囲は再びその事実を隠し 結局被告は双子を生むが、体調は最初から悪く、93年七月から第一サティアンに こもった。 288 神も仏も名無しさん 2009/04/05(日) 00:18:21 ID:AzUIR1AU 外にも出られず、他との接触も限られていたので、情報もほとんどこなかった。 上九一色村から離れているのでここに入れたのは、教団の人に妊娠をしらせては ならないから、とくに智子さんに知られることを麻原さんが気にしていたからで それ以降、ほとんど接触させないようにしていた ーー胎教のため、おなかの子にさわりのあることを話さない、と情報を入れないと いうことがあったようだがーー そうだった、と思う。流産のときも、私のカルマが悪いから流産した、と言われた。 ちゃんと修行しなくちゃいけないし、流産したのは私がいけないんだから、自分のステージを あげろということを言われていた。次のときはちゃんとステージの高い子を 生まなければいけない、それが私の仕事だと。そのうち、双子とわかり 一人より危険性が高いといわれて、すごく不安になった。(そうなっては)教義上エネルギが落ちる、 悪行である、という考え方があり、そう言われるとなんとか修行することによって 役目をまっとうしなければいけない、とプレッシャーがかかっていた。 麻原さんも前の事を知っているから、とにかく私を修行させようということが 多かった。麻原さんは情報という言葉がすきで、悪い情報を入れるなと 修行上のデータだけ入れろ、と ーー略ーー ーー双子は93年十二月に生まれた二日間かかった、ということだがーー 半日以上、時間がかかった ーー生年月日を違う日にしたのは麻原さんの提案かー そうです。もっとも良い日に生まれたことにするのがよい、ということで 日にちを選んだ。 ー占いかー そうです ー今は麻原さんを信じてないから元に戻した、ということか そうです 289 神も仏も名無しさん 2009/04/05(日) 00:19:30 ID:AzUIR1AU ーー危険率が高く、大学病院などではほとんど帝王切開するはずだと中川がいって いたが、結局通常分娩だった。中川さんはドクターだが、帝王切開の手術なんか したことないし、出来ない、そんな危険な状態でも入院できなかったかーー 一人目の子が足から出て仮死状態だった。子供も大変だったが、 そのあと陣痛が止まってしまった。三十分超えたら無理だから、とにかく出さなければ ということだった。私も出血多量で死にそうだった。最終的に半日以上たって 生まれたが、点滴で促進剤を静脈注射され私も息ができなくなって 死にそうになった。布団が血の海になった。 ーー子育ては子育てでなく、子供にお仕えをするんだ、とKさんが言っていたがーー 子供をあやす、といったら怒られた。そういう言葉を使ってはいけない。と 麻原さんに怒られた。麻原さんの血が入っている。神の血が入っているから 一般の弟子より上の存在である、という教義です。 ーー子を産み、育てるのがあなたの仕事かー 私の仕事であり、女性のつとめ、功徳の最大のものだ、と言われていた おふろの水に毒ガスが入っていると特別浄化した水をポリタンクで運んで 沸かして使うとか、解毒剤の吸引、注射もした。ー略ー 95年になってからは(子供の声が外にもれないように)遮音の電話ボックスを 作ったくらいです。 |