多分、観測者問題の一種だと思います。 仏教理論的には、一切は波動であるように捉えられますが、物理学においては、粒子性と波動性の二つの側面があると指摘されていました。では、どのような状況において粒子性が確認されるか(仏教的には「有りもしないはずの対象を実体視してしまうのか」)と言いますと、それは、観測者が対象を観測をしようとした瞬間である、みたいな話だと思います。逆に言うと、観測をする前までは波動性を維持していた、という考えですね。これは、エゴの作用によって錯覚が生じる経緯と類似している、という話を、そのお坊さんは、幽霊とかを使って表現されたのではないでしょうか。以上、櫻京先生による、分かりやすくハイレベルな、凄くためになる投稿でした。ちなみに、以前、上祐さんに個人的に伺った話を自分なりに解釈したのがこの文章です。 |