아벨(Abel)さんのメッセージ(#23467)への返事 > > オウムの人たちは本来信じる人ではなく修行者だったとさくらは思っています。 > これは当たっている部分とそうでない部分があります。一般論としては仏教は自力で悟りを > 求めるのが基本であり、キリスト教は絶対神への帰依が全てであると言われ、増谷文雄先生 > の仏教とキリスト教の比較だったかといった題の書物などでも、こういう意味で仏教の方が > 高級といった書き方がなされてます。 > (オウムは純粋の仏教ではなく、サーンキャに仏教的な部分を取り入れた仏教系新宗教である > と考えますが、面倒なので大雑把に仏教と書きます) 大昔の朝生で、みんなで修行しているビデオ流して 私たちは神の前にぬかづくのではなく自分で修行するのだと (正確な表現は覚えてませんが) 誇らしげに言ってました。 経典も取り寄せて研究してるって。 既存の日本の仏教よりも良いんだって言ってました。 南伝の仏教を研究してるとも。 尊師はヨガの先生で、仏教も研究しているのだと思ってました。 みんながヨガを始めた最初のときは、 「絶対者に帰依するんだ」な〜んて意識はなかったのではないでしょうか? > オウムでもグル無しでの解脱悟りは無理だという認識が間違いなくあったはず。 > オウムの人たちは、<strong>「グル麻原を絶対者と信じる修行者」</strong> であられたと。 まあ、そういう団体であったことまでは否定しませんが、 とにかく、修行者としての自負はありました。 |