麻原開祖は、多くの衆生を救済する目的を果たすために、様々な工夫を凝らしたと思います。 超能力や神通力について語り、使い、魅了する。 自分がいかに優れた霊性を持つか、智慧があるかと展開する。 そうした“努力”に、最初から気付いている方々も、数多くいたと思います。 そういう冷静な帰依をした方は、今でも麻原開祖に帰依しているようです。 しかしそれを知らず、そのようなパフォーマンスを全身で受け止め続けた方は、 ちょっとでもイメージにそぐわない麻原開祖の情報を知るなり、 途端に帰依がなくなるという現象が多発したようですね。 組織運営サイドの立場を知らないと、こうなってしまうのかもしれません。 では、麻原開祖が最初から素直に自分の良い点と悪い点を公表し、 「それでもついて来れる方だけ、ついて来て下さい」という姿勢でいたら、 どれだけの方が現世を捨て、真理のために生きたでしょうか。 現代の宗教団体の教祖や幹部も、企業の社長や幹部も、学校の校長や教員も、 目的のためには、自分らの良い点を前面に出し、自分らの悪い点については置いておく、 という姿勢でしょうね。 そうでなくては、信者や、会社員、お客様、生徒や父母らのためにならない可能性があるからです。 しかしその結果、「教祖は全てにおいて完成者です」と誤信し、 「日本企業がそんなことするはずがない」と誤信し、 「うちの学校の先生が痴漢なんてするわけがない」と誤信する。 その後、過ちが知られるなり、その一点によって、 それまでに積み重ねてきた全てについての信頼が崩れ去るという欠点があることは、 否定できないデメリットと言えるでしょう。 しかしそれはあくまでも、「導かれる側」が無能であるからこそ生じるデメリットかもしれません。 |