神風代理人さんのメッセージ(#23045)への返事 > 我々凡夫外道には、元芝さんの言われていることは、すごく説得力あります。 瞑想は欲界・色界・無色界の三界を超えてニルバーナに至るために行うと言ってもいいでしょう。 だから天界とか地獄とか神とかどうでもいいんです。 そこの話をしていてもしょうがない。 というよりもそこに拘るとそこの引力に捕まる。 だから最後は仏も要らない。 邪魔と言ってもいい。 神に会っては神を殺し仏に会っては仏を殺す。 結局は干渉を加えてきている以上マインドが見せる幻に過ぎないから。 神仏でさえも。 そこも越えないと結局無限の梯子が現れるだけで梯子から自由にはなれません。 本来、この世には上も下(右も左も善も悪も)も無くそれは全て幻という究極のリアルがあります。 無限の広がりの中ではそれらは存在しないから。 基準点を設けようにも何もかも無限だから基準は意味を為さない。 自分の幻のリアルを支えるための極限定的な範囲での基準ならありえますが。 では究極のリアルを体験するためはどうすればいいのか? 上とか下とかの思考を幻は幻として認知・理解・利用しながらそれに捕まらない、しっかり握って放さないのでは無く掴んだり放したりできるようにする、とりわけいつでも放せるようにしておくことが肝要です。 ちなみに知能指数が200とか300とかは理論上有り得ませんのであしからず。 さらに、自分に与えられた条件(カルマ)は今の知能なのでそれを使って自分を超えることがサンスカーラ破壊になります。 知能指数が高い=霊性が高い訳でも瞑想に向いてる訳でもない。 むしろ無学の百姓が、読み書きでさえ満足にできない人が、瞑想すら困難を極めた人が阿羅漢になっている例がたくさんあります。 瞑想は知能指数ではない。 どう取り組むかです。 解脱は知能指数では無い。 如何に究極のリアルを理解・体験するかです。 |