オナニーで悦に浸ってる麻原パクリまくりの馬鹿じゃねえか? http://blog.goo.ne.jp/bodhicarya/m/200409 私は師になったばかりのときね、ねえ、私はよく、説法がうまいって言ってもらえるけど、ね、自分で言うのもなんだけどね(笑)、いつからね、説法ができるようになったかって言ったらね、成就したとたんなんだ。だからやっぱり成就ってすばらしいね。もちろん、それまでもね、教学は好きだったし、ね、論理的に考えることも好きだったしね、いろいろな体験もあったけどね、説法ができるって感じじゃなかった。でもね、成就したとたんね、法則がね、すらすらと、口から流れるように出るようになったんだ。 しかしね、私も最初のころはね、説法をするときは緊張していたね。うまくしゃべれるだろうかとかね。しかしあるときからね、全く緊張しなくなった。それはね、さっき言ったようなね、すべてはグルとシヴァ大神に任せてあるっていうね、感覚がわかったからだね。 説法をしようとするときにね、なんで緊張するんだ? それはね、私が説法するんだと。私がうまくできるかなと。私が失敗したらどうしようと。わたしの説法の評価はどうかなと。ね。全部「私」だね(笑)。こういう意識があるとね、当然、緊張するよ。 でもね、すべてはグルとシヴァ大神から降りてきてるものなんだ。ね。つまり私はね、師というのはね、そういう意味で道具に過ぎない。スピーカーだな。 |