和井 恵さんのメッセージ(#22454)への返事 > それは方便ではなくて、正しい修行をすれば、当然そうなるはずです。 もちろんそう思います。 ただ、仮に功徳と「行(形成作用)」とを別のものとして考え、 それこそ功徳をガソリンや貯金のようなものに考えるとしたら、という話で、 あえて「方便」と言ったわけですな。 > 功徳とは、その人に「好ましい結果」を得ることを助長する働き(ベクトル)のことです。 例えば何のために修行するのか、ということですが、 トチ狂った修行をするのでなければ、 およそ修行の目的は、解脱だの成仏だの、と表現は多彩ですが、 畢竟「苦の滅尽」であろうかと思われます。 その限りにおいて、ベクトルと結果は、 その目的に対しては「功徳」、あるいはその果報である、 と思える現象に他ならないでしょう。 > つまり、功徳を「お金」のようなものとして仮想してしまうこと自体に問題があるのだと思います。 この仮想をしてしまったが最後、 教団の言う「功徳」はお金か、お金に換算し得ること、が主流となってしまい、 永遠に積み続けることが「義務」とされる霊感商法になります。 まあでも、一番わからないのは、 仮に百歩譲って功徳をお金のようなものと捉えることは良いとしても、 なぜ修行することはそのお金を浪費すること、と定義するのか、 その意味合いが全く理解できません。 功徳がお金であることと、修行が浪費であることとは、 全く論理的なつながりはないと思います。 |