![]() ぼんち@SoftBankさんのメッセージ(#22434)への返事 > 方便としては、修行すればするほど功徳が増え、 > 仏様が喜ばれるからどんどんやれ、 > という方がマシでしょう。 それは方便ではなくて、正しい修行をすれば、当然そうなるはずです。 釈迦の教えを使って「功徳」というものを表現すると、 それは、解脱・悟りへと向かわせる「潜在的形成力(行)」ということになるからです。 「行(形成作用)」というと解りにくいでしょうが、 解りやすい例を挙げれば、犬に食事を与えるときにベルを鳴らす。 そしてこれを、何度も繰り返す(行為の反復、つまり、カルマの蓄積)。 すると、ベルを鳴らすだけで「唾液が分泌される」という「形成作用」が現れる。 つまり、薫習・習気と呼ばれている働きと、「行」とは同意だと私は見ているのです。 例えば、瞑想の訓練を何度も繰り返す。 最初はなかなか上手くは出来ませんが、そういう行為(カルマ)を積み重ねることによって、 スムーズに深い意識状態へと移行できるような「行(自律的・自動的な働き)」が形成されてゆく。 功徳とは、その人に「好ましい結果」を得ることを手助けする働き(ベクトル)のことです。 正しい修行とは、当然、それらのベクトルを増大させる行為の積み重ねに他なりません。 つまり、功徳を「お金」のようなものとして仮想してしまうこと自体に問題があるのだと思います。 |