![]() 아벨(Abel)さんのメッセージ(#22255)への返事 > http://homepage1.nifty.com/manikana/canon/sunna.html > > ここでは明確に「無所有処についての想い」「非想非非想処についての想い」 > > という訳語が使われています。 > > これを「十結」と対応させると、「五下分結」が欲界に対応し、 > > 「色貪」が色界、「無色貪」が無色界に対応するのです。 > > そして、無明の次にある「慢」が、優劣を生起させる… > > つまり、高い世界・低い世界、高いステージ・低いステージという認識(分別)をね。 > > 釈迦は、五蘊無我(非我)を説いています。 > > もし、自己や世界をあるがままに観察し、 > > 「これはわれに属するものではない、これはわれではない、 > > これはわれのアートマンではない」と知るならば、 > > 自己や世界に関する誤った見方を捨てることができるであろう。 > > だんだん難しく・・・ 難しいですか… > 「これはわれに属するものではない、これはわれではない、 > これはわれのアートマンではない」と知るならば、 これは、要するに「五蘊無我(非我)」の教えを、別の言い方で表現しています。 > 自己や世界に関する誤った見方 これは、五蘊(色・受・想・行・識)に囚われたままの見解のことです。 そして、この囚われを別の表現で表すと「結(結縛)」となるのです。 ※五下分結…有身見・疑・戒禁取見・貪・瞋恚(最初の三つは痴に当たります) 有身見は、「色(身体・主として感覚器官)」への囚われ、執着 疑は、「五蘊無我(非我)」の教えを受け付けない心 戒禁取見は、釈迦の教え以外の教義を信じてしまっている心 貪は、五妙欲への執着心 瞋恚は、欲望を阻害・妨害されたときに起きる反動形成(フィードバックの働き) これらは、五官・五感・五妙欲と対応して、外界(現象世界)と結びつきます。 ※五上分結…色貪・無色貪・掉挙・慢・無明 色貪は、色界(表象のある意識世界)への囚われ、執着 無色貪は、無色界(表象の無い意識世界)への囚われ、執着 掉挙は、薫習や習気(行)によって生起する「衝動」に左右される心の働き 慢は、識別(分別)による囚われで、優劣(傲慢・闘争心・卑屈さ)を生じさせる 無明は、五蘊を我や我がモノと誤認させる根源的な働き これらは、六番目の「意(感受作用)」と 「意識(眼識〜身識の次に来る、感受作用の対象)」と対応して、 内界(心象世界・精神世界)と結びついてしまうのです。 一.傍らに立って、その神は、尊師のもとで、この詩句をとなえた。 「どれだけを断つべきか? その上にどれだけを修めるべきか? どれだけの束縛を超えたならば、 修行僧は(激流を渡った者)と呼ばれるのであるか?」 二.[尊師は答えた] 「五つ[の下位の束縛]を断て。 五つ[の上位の束縛]を捨てよ。 さらに五つ[のすぐれたはたらき]を修めよ。 五つの執著を超えた修行僧は、[激流を渡った者]と呼ばれる。」 (サンユッタ・ニカーヤ 第T篇 第一章 葦 第五節 どれだけを断つべき?) |