![]() 아벨(Abel)さんのメッセージ(#20174)への返事 > > まず、「私は体が固い」と心の中で思いこんでしまっている(心での自我像の規定)。 > > そこで、それを時々言葉として口に出す(自己暗示による強化)。 > > 実際に体を動かしてみて、身体の固さを再確認する(対象の認識による強化)。 > > > > この行為(業)の繰り返しによって、特定の影響力が生じてしまうのです(異塾果)。 > > 某殺人カルトの某B型のせんせからもw、否定的な言葉を口にしたらアストラルに影響を > 与えて現象化するリスクって教えを受けました。 > > 最近はNLP系統に一寸手を出したりして安いセミナーだの商材だのに関わったりしてる > のですが、某殺人カルトで言ってた潜在意識の問題と全く同じことを言ってるし、より一層 > 具体的な潜在意識コントロールのテクニックなど教えてくれて興味深いですね。 上記の私の説明を、スピリチュアルな文章に言い換えると、次のようになります。 私たちは、過去からの身・口・意の三業によって、 異熟果という想念体(異蘊)を造り出します。 これは一種の「生き霊」とも言えるでしょう。 それは、ある特定の自我意識を持ち、私たちを自縛するのです。 それは、一種の想念のエネルギー体(霊)ですので、 絶えずその自我を形成するエネルギーを補給させようと、 私たちの意識に呪縛的な働きかけをしてくるのです。 > > 「サーヴォ機構」とは、喩えて言えばミサイルの自動追跡装置のようなもので、 > > 「目標」を設定すると、フィードバックを何度も繰り返して、 > > 自律的(オートマチック)にそこへ向かっていくという働き(システム)を意味します。 > > たとえば潜在意識に到達目標を教え込むテクニックとして、その状態が得られた時点において > 自分に沸き起こるであろう快感の激しい感情をイメージするとか。 > > イメージトレーニングとも一寸異なって、目的が現象化したときの自分の感情にポイントが > あるっていう教えが新鮮でした。 それは、私の説明している内容とは別のモノ(NLP系統?)ですね。 今の説明と、ごちゃ混ぜにしない方が良いと思いますけど… 私は今から35年くらい前に、恩師である桐山さんの著書「変身の原理」で、 このサイバネティクスの理論と、「「サーヴォ機構」のことを教えて頂きました。 > > ある一定の「基準(目標値)」を設けると、その状態を維持(保持)しようとする働き。 > > 潜在意識の慣性、あるいは現状維持メカニズム(石井裕之)って呼ばれるメカニズム。 そうやって、自分の中で、知っている知識にどんどん置き換えていくと、 私の今の説明は、貴方に段々と届かなくなっていくのですけどね。 内容が少しづつ「変質」してしまうから… > > アベルさんの場合は、おそらく「私は体が固いんだ(固い体が私なのだ)」という > > 形成された「自我意識(セルフイメージ)」を持ってしまっているのでしょう。 > > この自我意識(異蘊)は、それに反するような行為を嫌がります。 > > 多分、表層では逆のことを思っていても、潜在意識はそういうマイナスのイメージを保つよう > にプログラムされてしまっているのだと思います。 > > > だから、やる気がなかなか起きない。 > > やっても長続きしにくい。 > > そして、多少の変化はあっても、すぐ元に戻ってしまう。 > > という現象を生起させやすいのです。 > > 対処法としては、 > > 私の身体は、無常である。無常なるが故に、それは必ず変化をする。 > > だから、この体にしても、固いときもあれば、少し柔らかいときもある。 > > それは常に変動していて、定まったモノではない。 > > 私はこの事実を、ありのままに認識しよう。 > > という「念(サティ・気付き)」を日常で使い、心を柔軟にさせる訓練をします。 > > つまり、「正見解」と「正思惟」と「正念」の実践ですね。 > > 表層意識でそう思うだけでなく、潜在意識にアプローチしてそれを変えるべくNLP的な > テクニックなども使ってはいるのですけどね。 私が説明しているのは、NLP的なテクニックなどではありません。 釈迦の教えの基本である「無常観」を使って、 自分自身に取り憑いてしまっている、霊的な「我執(セルフイメージへの固執)」を、 徐々に遮断していくという方法を説明しているのです。 > 聖者ヨグマタに言わせると「わかっちゃいるけどやめられない」(和井さん式では、知って > いるけどやめられない)ってところでしょう。 それは貴方が、マイナスの自我意識に憑依されて支配されているからです。 > > そして、言葉としては、 > > 「私は体が固い」ではなくて、「体が固い時もある」と表現する。 > > 「柔らかくしたい」ではなくて、「柔らかくなる」と言う。 > > そして、「柔らかくなる」と言ったときに、柔らかくなった体をイメージする。 > > これは「正語」を中心とした「正行為(正業)」の実践。 > > NLP的には、身体が柔らかくなってある種のアサナができた時の喜びをリアルな感情を > 伴って喜ぶという訓練が有効だそうです。 その方法は、ポジティブな人には有効かも知れませんが、 ネガティブな人には、あまり効き目はないのではありませんか? 例えば、「頑張れよ」という励ましの言葉は、 ポジティブな人には有効に働きますが、ネガティブな人には、有害な働きになるのです。 それは、何故でしょうか? 言葉の意味というものは、相対的な関係によって成立しています。 善と悪、綺麗と汚い、前と後ろ、右と左… これらは相対的に、お互いが支え合って言葉の持つ概念を成立させているのです。 ですから、同じ「善」という言葉を聞いても、 ポジティブな人ならば、そのまま「善」を感じるでしょうが、 ネガティブな人は、その「善」を成立させている裏側の「悪」を感じてしまい、 「善」の中に「偽善」を観てしまうのです。 ですから、「頑張れよ」という励ましの言葉も、 ネガティブな人には、「今のお前は、まだそれほど頑張ってない、(だからもっと頑張れ)」 とういう内容に変容してしまって、それがプレッシャーとなるのです。 > > 「私は体が固い」ではなくて、「体が固い時もある」と表現する。 > > 「柔らかくしたい」ではなくて、「柔らかくなる」と言う。 という、使用する言葉を選別しているのは、この点を考慮して書いているのです。 > 私の知人のある元サマナの方が同じようなことをされていたと教えて下さいました。その方 > は最初身体が固かったそうですが、股割りができてお腹が床についたらどんなに気持ちが > 良いだろう、と、達成したときの喜びをイメージしつつ修行を続けたらできるようになった > とのことでした。巻き蓮華もできるし24時間蓮華座修行も達成されたってことで凄く尊敬 > してる方なのですが、私も、「このアサナが達成できたらどんなに気持ち良いだろう」とは > ア思ってるのですが、前屈は客観的に固いと。ビバリータカラニー、カンダラサナからハラ > アサナに行くのがまだ無理(恥ずかしながら)。でも、一年前から課題としてたシルシアサナ > は壁なしで一応ほぼできるようになったので、このやり方を続けて行きたいとは思ってます。 > > > 身体に対しては、時々、瞑想(イメージ訓練)によって、 > > 体がゴムのように柔らかくなっている、という身体感覚を強めていくのです。 > > これが「正定」の実践。 > > そのときに激しい喜びの感情を潜在意識にインプットするのが効果的だとNLPでは習い > ました。過程におけるイメージトレーニングより達成したときの喜びの感情を強くイメージ > する方が効果的だと。 私はそれをお勧めはしませんが、我流でやりたいのなら、それはアベルさんの自由だと思います。 |