和井 恵さんのメッセージ(#20161)への返事 > 上記は、「自動的に動き得るように創られている」という説明なので、 > やはり、それならば、その「創っている主体は何ですか?」という質問になるのです。 「自然の摂理」によって偶然によって生じた、と解釈したら無神論、そういう姿で創造の 時点においてのみ「神」が創造したがその後は自立的に動いていると解釈したら理神論、 > でも、ここがこの考え方の「肝(要点)」なんですけどね。 > つまり、この根源的な部分が曖昧だと、論としては成り立たない(不充分)、ということ。 大自然の摂理、とでも曖昧に逃げるしか仕方ないのではないでしょうか??? > ブラフマンとの合一というよりも、アーカシックレコードへのアクセスですよね。 > この比喩の捉え方は「合一」とはちょっと違って、「相手と繋がる」というか… アーカシック「レコード」というと単に受動的なストレージって感覚になるように思うので 私は「情報処理の主体」という機能をも担った「アーカシックサーバ」と考える方が理解 しやすいので自分だけ勝手にそういう比喩で理解の助けとしているわけですが、ブラフマン をA社・麻原さん的に大神聖天と矮小化するのでなく、A的に言うシヴァと同じレベルの 大宇宙原理っていうイメージでしょうか。 ただ、「繋がる」っていうと、普段は繋がってないというニュアンスになると思うのですが、 繋がってない状態ではクライアント端末に自性なんてあり得ない。あくまでクライアント 端末での映像はシステム全体の一部としてのヴァーチャルな映像って理解が成り立ちやすい のではないかと。 > 自律神経も、不随意筋肉も、訓練を重ねれば動かせますよ。 かなりの程度は動かせるでしょうけど、消化液の産生とか腎臓におけるイオンのやりとり だの腸を逆に動かしたり、体内で、感覚のセンサーの無い部分をコントロールできるもの でしょうか? 感覚できる部分で、たとえば部分発汗とかならできるかもしれませんが。 > ふふふ、無常(思い通りに動かない)なるが故に、非我(本質でない)なんですけどね。 麻原さんの仰ってた表現を借りると、アートマンは五蘊にはない、だったか五蘊を超えた ところにある、だったか忘れましたが、思い通りに動くかどうかなんて説明無しでも五蘊が 無常であって本質ではないことくらいは直感的に理解できるわけですが、今生起している 表層の意識が自分の本質で「ない」ということくらいは然程問題なく理解できるわけで、 感覚や表層意識の働き(電脳網モデルにおける端末のプログラム・設定)をわたしの本質 だと普通は錯覚してると。それはヴァーチャルなものであると言われても何の抵抗もなく 理解可能。Aでもよく言われてたスクリーン理論よりむしろわかりやすいかと。 潜在意識は繋がってる、集合的無意識、っていうおぼろげな直感っていうか・・・ 思い通りに動かないから非我(本質でない)なんて言い方からは天理教が金巻き上げる時 に使う常套説明を連想してしまうとw それにしても某新潟の酒は吟醸が不味い。元二級の白ラベルの方が旨いw > そして、三密加持・入我我入(梵我一如)は、その逆の流れを創ろうとしているのです。 > 無常をコントロールして、本質に近いモノを造り上げようとしている… > (釈迦の説いた「真理」の逆バージョンなのですね、逆に出来れば真になるという形の) > > そして、私は、主に肉体(身体)を例に挙げて話しをしています。 > 貴方は自分の手を、思い通りに、上下左右や前後へ一応は動かせますよね。 > これは、自己が五蘊と入我我入して合一しているからなのだと私は言っているのです。 > 合一(一体化)することで、相互の影響し合う関係が最大(極大)となるのです。 > しかしここで、本当は二つのケースに分かれてしまうのですけどね。 > つまり、憑依する・支配する(能動的)のか、されてしまう(受動的)のかという、ね。 > まぁ、実際には複合的なケースになってしまうんですけど… 難しくてよくわかんないから酔いが覚めてから改めて拝見しますwww 懺悔w 追記 合一っていう発想は、そもそも「別物」っていう出発点が前提になっているわけですが、 本来サーバと一体でしか成り立ち得ない存在であるくせに、端末側の余計なファイヤウオール だのウイルスソフトだのが邪魔してサーバとの関係で普通に必要な接続が障害されているっ て感じならよくわかると。 ていうような抽象的なことはよくわからんのですが、手足を自由に動かせるって話に関して 今私が一番困ってるのはアサナのときの身体の固さ。 一番最初に某殺人カルトでアサナ習ったとき、酸っぱい婆さん美女師から先ず言われたのが 靴下を脱いで下さいwww その次に、余計な力が入るから身体が固くなるだけで本来は そうではない、と。 筋・腱・靭帯などの固さなわけですが、それこそ原子レベルではすかすかなわけで、観念 さえ取り除けばもっと柔らかくなれるはずなのに、思い通りに身体が動かないのが残念! > > その方が面白そうですwww > ん?荒唐無稽の方が? > それとも「転落に至る道」の方が? > どちらの意味にも取れるんですけどね… 一応は荒唐無稽の方が面白いという意味にて・・・ |