理想と現実 編集する 2008年12月17日21:25 宗教とは理想を追求する側面が強い。だが理想を追求する余りに、極端に現実を無視した対応でシッチャカメッチャカになるケースもある。一連の凶悪事件がそうであったことは言うまでもない。現在の教団は、そこまでは至らないだろう。が、ほとんどのサマナは、理想の世界に閉じこもっているのも事実だ。やたらと瞑想体験は凄いが、現実の問題になると対応不能・滅茶苦茶、そんなサマナも少なくない。理想に傾いたが故に、現実が疎かになっているケースだ。 だが現実の問題に触れ、それなりに対応をしていくと、理想と現実のギャップは埋まってくる。それなりにバランスが取れた人格になってくる。現時点で教団運営に関わっている師については、(本当に若干ではあるが)変化を感じなくもない。そういうのもあって、余り悪口を書く気はしない。 以下、今日思い出した私の話。 私は正悟師会議では、書記長兼議長であった。こう言うと絶大な権力者のように聞こえるが、実際は色々な雑用・調整係だった。会議の決定事項を責任を持って遂行しようとすると、自然とそうなっていた。その中でも、上祐氏と松本家の間の調整は、色々と大変だった。 三女は正悟師達に、上祐氏を監視するよう指示していた。普段きちんと彼が修行しているかどうか、定期的に訪問して確認する。あるいはお布施集めの説法会の際には同行する、というものだ。説法会の時は、特に上祐氏が(後にひかりの輪に合流するような)シンパのサマナへ電話をかける。三女はそれを「監視して報告しろ」という指示だった。 この監視役は、なんだかんだで私がほとんどだった。というのも、松本家の後ろ盾を得て上祐批判に傾いた正悟師達も、やはり上祐氏本人の前では、どことなくバツが悪いワケだ。陰で批判・悪口を言う勢いそのままで、上祐氏に対応できるワケではない。勿論二宮正悟師などは、面前でもボロクソ批判することもあったが、彼がやったとしたら、ケンカになりかねなかった。そもそも彼が、わざわざ滋賀から出てきてそんな地味な仕事をやるわけがなかった。要するに、余り皆がやらない仕事が回ってくるワケだ。 思い返してみると、やはりあの頃上祐氏は、相対的に落ち込んでいたと思う。 ある時福岡の説法会に向かう飛行機の中で、こんなやりとりがあった。 「あまり説法の内容を考えてないので、VT正悟師も前座で話してくれないか?」 「はぁ。。(なんだ単なるお付きで気楽に考えていたのに…)」 福岡道場に着くまでに適当に考えて、私は15分ほど前座の説法をこなした。 引き続いて上祐氏の説法。だが、あの饒舌な上祐氏が、たった10分しか話をしなかったのだ。前座よりも短いたったの10分…。しかもその内容は、大乗の発願の意味合いに関するもので、以前どこかで聞いたような内容。俺以上に手抜きなのだが、まあそれだけ落ち込んでいたということか。あ、今日上祐氏誕生日だよ、46才ご愁傷様。 話が逸れたが、他の正悟師達は、現実の問題よりも「ご家族が…、アーチャリー正大師が…、ヤソーダラー正大師が…」という理念の方を優先する傾向があったので、これも苦労した。 「あなたは、ご家族を尊敬してないでしょう!!」 とケンカ腰の議論になったこともある。 だが、これも後から考えると、私が人にやらせずあれこれ自分でやってしまったのがまずかった。正悟師会議にしろ教団運営にしろ、下手に責任を背負えば、他はのんきに構えるということだ。「ご家族発言」の理想だけでは、現実の運営はできない。正悟師全員が、それを悟るのには、約2年半かかった。その間私が逮捕されていなければ、もっとかかったかも知れない。 (つづく) |