神風代理人さんのメッセージ(#18320)への返事 > 代表の足を引っ張っているとしか、思えない支部長、副支部長 > こう言うと、彼らが無能に見えるかも知れない。 > 支部長、副支部長非常に優れた人材です。 > 修行者として尊敬に値します。 > しかし不良会員として言うなら > 会員個々の立場に立って物事判断して、会員対応しないと、 > カルマ返しがきついと思う。 >他人を思いやると言うことは真夜に電話したり >真夜中にメールしたり >人の言動をチェックしたり >密告を奨励するがごとき言動を取ったり >人を利用したり >他人の褌で相撲を取るものではない。 これらに関しては全く同意。 ディオゲネスの樽さんもコミュで「布施」「功徳」の押付けについて言及していますが、 例えば「財施」ひとつ取っても、ある人はあくまで「布施功徳」を積む実践として、 純粋な宗教的行為と捉えるだろうし、 またある人は「被害者賠償」「社会的贖罪」と言う社会的・人道的行為として実践するだろうし、 別の人は「単なる経済的対価」として、経済活動としての意義しか見出さない人も当然いるでしょう。 そしてどのような意義を見出そうと、それは全くの自由のはずです。 しかし実際には指導する側はそうではない。 ちょうど通り一遍の教え方しか出来ない学校の先生のように。 生徒にもいろいろな人間がいるわけですから、理解のプロセスとか方法とか、 興味を持つポイントとか好きな教科なんかもそれぞれ全く違うわけです。 叱って伸びる生徒もいれば叱って潰れる生徒もいる。 ほめて伸びる生徒もいればほめると自分を過大評価しだす生徒もいる。 その辺りの個々の傾向を理解してきめ細かい指導をするのが、 指導する側の力量ってもんじゃないでしょうか。 そして道場にいる方々は「指導者」であって「管理者」ではないはずです。 「功徳ですよ帰依ですよお布施がんばりましょう」で喜ぶ会員ももちろんいるでしょうが、 そうでない会員ももちろんいますよね。 ちょっと考えりゃわかりそうなもんですけど・・・ まあ当然指導する側も個々それぞれでしょうし、 地域性もあるでしょうから、仕方ないんですかね。 従いたくなきゃ従わなきゃいい、ってのが結論かなww 嫌いな先生の授業には内職しときゃいい、とw |