아벨(Abel)さんのメッセージ(#18145)への返事 > 具体的には・・・ 無常だからこそ今を精一杯に、といったよく聞く話ですかぁ? もっと深い? それだとオウムの教義とたいして変わりないでしょう? そんな遺跡みたいな体育会的精神論はなんの役にも立たないと思います。 「無常」の否定的な使いかた・・・ つまり「全ては無常だから今の喜びはやがて苦しみになる。全ては変化してしまう」 は、これはこれで正解ですが正確には「半分正解」です。 釈迦ムニの説法というのは、仏典というのはその背後に何があるのかを考えながら読み解かねばなりません。 「仏の言葉だ!ありがたい!」で鵜呑みにしていては単なる何千年も続いている「カルト」でしかありません。 残りの半分「肯定的側面」は、 「無常だからこそ今の苦しみもやがて喜びに変わる。全ては変化してしまう。一定なものなどない。そして全ては循環する」 全ては苦。 これはこれで諸現象の本質だと思います。 でもそれは「一定であれ。永遠であれ」と執着するマインドがあるからこそです。 「全ては無常」だと本当の意味で分かれば「苦>楽>苦>楽>苦・・・」と永遠に繰り返すだけと分かります。 単なる「神のリーラ(遊戯)」に過ぎないと。 これが分かれば人生の諸現象に対して執着も絶望も無くなり、「無常」と捉えて隠遁生活するも、「無常」を積極的に活用して現世を幸せに生きるのも自由になります。 「全ては無常。だからこそ我々は変わっていける。より良く変わっていくか、それとも堕落するかは本人次第」 「変わってしまう、と嘆くよりも変わっていけると積極的に無常を活用することが知恵ある者」 |