ところで、2ちゃんでネタ振ったんだけど反応がないんでさ 漏れは分厚い仏典を一冊買って、(全部詳細に揃えるとずっと多いらしいんだけど) まあ、ハイライト部分が阿含経、大乗経典から抜き出してあるやつで、 それを見ると、釈迦の教説にはカルマ落としなる単語が、ほとんど出てこない カルマを落とすとか、、 一方チベット仏教にはあるらしい、漏れはチベット仏教よくしらんのだが 弟子の頭をスリッパでなぐるとかしたら、具合よく悟ったらしい 歴史的背景として、釈迦の仏教はどうやってチベットに入ったのだろうか なぜ、釈迦のときにはなかった(カルマ落とし)が、チベットにおいては発生したのか それどころか釈迦はむやみと体を傷つける行者を否定している 釈迦がある異教の行者が苦行をしているのを見て話し掛けたと (あなたの師はどういうことを教えているのか)と (こういう苦行をなせば、過去に犯した悪行を滅してよい転生ができると) (あなたは過去に自分がどれだけの罪を犯したのかしっているか) (知りません) (あなたは今までの苦行で、過去に犯したどれだけの罪が消えたか、あとどのくらい 残っているか、しっているか) (しりません) (では、手を血で染めた人間のみが、あなたの師のところへ入門するということに なるじゃないか)←今生、自覚できる範囲内で悪行を犯した場合と言う意味? 過去生で自分がどんだけどんな悪行を犯したのか、自分でしらないくせに 悪行を消滅しないといけないと考えて 苦行に明け暮れるというのもいかがなものか、という問いかけ |