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#16916 2008年10月23日(木)15時03分
From: キャンディ
Subject: Re4:さくらさん
キャンディさんのメッセージ(#16915)への返事

てか、麻原の教え方だと、真我があるという設定で、それが流転すると
すると、最初から(絶対至高永遠なる自分)というのが(ある)という設定で
ものを見るわけですよね
その絶対至高の自分がアホになって、落下して云々と


でも、仏教徒の考えは、自分だと思っていた要素はすべて、無常なので苦なので
よって自分とはいえないと、、
自分を構成している要素がすべて(自分)とは呼べないものだと気づけと
したらそこに、本当の自分を見出した、というのは、論理の矛盾だと思うんだけどね

だって、自分はないって気がつけ、って教えでしょ
それで最後に(本当の自分が残った)だの(本当の自分を発見した)だのいう
結論になったら、論理の矛盾だと


がしかし、(本当は自分はなかった)と(結論づける)のは誰なんだろう
認知能力が残っているから、(自分はあったのなかったの)認識したり考えたり
できるんだろうからね
最後には(この考えるということは劣ったことだ)として
捨てるんだとね


に、オウムでは呼吸法を通して、サマディに入ろうとするみたいだけど
釈迦がそうしたという記述はないみたいだしね
苦行時代に呼吸法をして、たぶんクンダリニがあがったかのような記述があるけど
結局苦行では悟れなかったとして、捨てているし
一緒にはできないと思うね

てか、麻原に釈迦なんか語って欲しくないわけ
穢れるから
どっちでもいいってのは、麻原擁護派ね
麻原はまぜて教えたから、
漏れのいうことを躍起になって(ろくになにも知らずに)とか
いいながら、どっちも同じだと論を展開した奴がいましたな

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