YASUさんのメッセージ(#16176)への返事 > オウムシンパ?のわたしが「真我」を否定して、 > アンチ?の和井恵さんが「真我」肯定だなんてこれ如何に? あの、我々のレベルでの「真我論争」のみならず、 一般的な意味での真我の肯定、否定で用いられている 「真我」なるものが、一体何でどういう性質を持っているもので、 その正体が何なのか、ということについて、 厳密な定義が違っているというかずれているというか、 そういう印象を受けるのです。 その意味で、和井恵さんが言う「真我」というのも、 必ずしもその他の人間が言う「真我」と、 認識が違っている可能性もある。 しかも、「肯定」といっても、それが 万人がそれを「肯定」と認識し得る論法であるのか、 実は私にはそれすら疑わしい。 和井恵さんに、例えば「真我の性質」を解説させたとして、 それを聞いたある人が、 「あ、それは私の言う○○ですね。」となるかもしれない。 こういう前提を共有しないで、単に並べて肯定否定とラベリングしていっても、 話が混乱するだけでしょう。 ここにAという言葉があって、 甲さんはそれをBということだ、と定義し、 乙さんはそれをCということだ、と定義したと。 しかし、Bは絶対にCでない、こということが証明されれば、 両者はいずれもAという言葉を使っているが、 同じものを指していない、ということになるわけです。 それが言葉というものの限界だと思いますがね。 結論から言えば、 和井恵さんの言葉は和井恵さんの言葉として、 至極単純に、素直に受け取るべきであり、 彼の言説を、他人の言説の中に並べて位置づけを云々するのは あまり意味がないように思えます。 自分の観念によって多少の曲解が起こることは許容せざるを得ないでしょうが、 それを自覚しないままに他人の言説と並べて、 審判面するのではどうにもなりません。 |