夢野さんのメッセージ(#16174)への返事 > おや複雑ですねー(笑、ヒトによって真我の定義が微妙に異なるのぢゃろ。 そりゃぁ、もし簡単に真我の定義ができてしまったら、それこそ大変でんがなwww > イエスも絶対化しすぎると、話が変になるとは思います。罪のない木を枯れさせたというエピソードもあったし。とりあえず神の一部だと解釈できる。 三位一体の子なる神、神が人となって顕現されたという解釈を受け入れたとしても、そも そも三位一体の神って無常の大神聖天に過ぎないのか、上祐さんが開祖の解釈を変えちゃっ てブラフマンをマハーニルヴァーナと同じような使い方されるし・・・わかりもはん > サーバーを真我、個のクライアントPCを魂になぞらえる。デカルトやライプニッツの思想はこれに近いのかもしれません。 > あるいはサーバーを非我(五蘊)、クライアントPCを真我という見方もあります。ぼく自身は後者の多神・無神的な表現が好きなわけだが。 夢野さんの理論は難しくて十分理解できないのですが、どうも「クライアント」と私が言う 個々の端末が、フラクタル的、ホログラフィーモデル的にそれぞれ全ての一元を包含しつつ ネットワークで繋がって、一元のシステムを形成、っていうお考えなのではないかな〜、 とも感じました。 勿論、仮和合した五蘊のどれ一つとして真我ではあり得ないわけですが、YASUさんもご指摘 になってたと思うのですが、少なくとも行識のレベルでは五蘊といっても独立した個を素朴 にイメージするのでは本質とかなりかけ離れてるのではないかな〜と。 私は単に現在商品化されてるネットワークシステムのサーバーークライアントモデルの非常 にシンプルなものをイメージしてたのですが、私が仕事で毎日使ってるオンライン画像処理 システムよりも、たとえば多細胞生物をモデルにした方がわかりやすいのかもしれないですね・・・ > ちなみに中観派仏教は真我を否定しますね、絶対的な真我の状態(永久サマディ――無区別の境地)は肉体があっては不可能に近いためでしょう。 > ひとまずいろんな仮説を併存させておくべきです 言語化できる範囲での比喩で全てが説明できるわけはないのですから、いろんな方向から、 群盲象を撫でるがごとき比喩、仮説の山を築いたら、ある程度曖昧にでも類推できるのかも しれないと。 二元の世界しか一応体験できない我々が、そのへんのところとどのようにおつきあいして いけばよろしいものか・・・ |