柴田威信さんのメッセージ(#15979)への返事 > では、滝本先生の言う主張はまさにこれじゃないですか。 > 究極の「麻原隠し」でつ。 内容はそういうことです。 下痢便殿の問題は、本気でそう信じているのか、 潰すためにそう思ってるような顔をしているのか、 それだけですね。 > ひかりの輪・教義のどこを見ても、 > 「シヴァ大神」などオウム用語が見あたりませんが、 > 既成の仏教用語にみんな置き換えているとか。 > で、どうでもいい「五時教判」や「華厳経」みたいのを適当にくっつけると。 平安時代以降の日本仏教の要素を肯定した(否定しない)段階で、 ある意味オウムとしての機能はおしまいだと思いますよ。 まず、聖徳太子の頃までは仏教は「異国の神」だったわけです。 つまり、日本の神々との関係は、「別の組のヤクザ同士」みたいな関係だったと。 いわば縄張りの問題だったわけですな。 それが奈良時代になると、宗教がかった国家の「公務」になり、 坊さんは「国立経典研究所研究員」になったと。 そこから脱したのが空海、最澄のお二方ですが、 その宗祖たちはともかく、その後継者たちの展開していった仏教が、 いわゆる「日本仏教」というやつですな。 その「日本仏教」の方法論に輪っかは近付いているように思えます。 しかもその人たちを否定してもいないと。 この時点で、いわゆるところの「オウム」ではなくなっている、 という印象の方が先に立ちますね。 > わたしがもし「ひとりオウム」だとしたら、 > パモ〜チャナ師のようにソンシ説法は引用しないで、 > 既成のモノにソンシの解釈などをしみこませる手法をとりますね。 それはもう尊師流じゃないっすね。 パモーチャナ流ですわ。 > でも、わたしはお馬〜であり、 > 「資料集」としてソンシの説法などを残したいと考えているので、 > 西村さんやらく氏のやり方を真似しているんです。 これがオウマーの正しいあり方でしょう。 同時に、尊師の教えを提供者(らくさんやYASUさん)が歪曲しない方法で、 しかも、危険性が完全にない人たちだ、ということになると思います。 危険なのは、勝手に解釈して実践しようとする信者なんですよ。 |