聖者ぼんちリンポチェさんのメッセージ(#15769)への返事 > この可能性は十分なので、完全否定はしないと。 > 仏典の場合、ヨハネがゴータマ・シッダッタという人物になるわけですが。 仏典といっても、お釈迦様が「仏典」を出版したわけでもないでしょう? 仏典結集は、 第1回目はマハーカッサパ主催で、2回目はヤサですか。 時代を経るにしたがって、怪しくなっていきますね。 おそらく、ソンシの説法集もどうなることやら。 わたしらが人間界から転生した後、 とんでもない経典が出来上がっていたりして。(藁) 「尊師」や「オウム」をどう評価するかで、無数の解釈ができそうですが、 滝本先生は、 http://sky.ap.teacup.com/takitaro/660.html で、「オウム真理教にも少しは意義があった」という言い方については 「それがどうしたの?その部分が本質だったのかな?自分のしてきたこと信じていたことを否定したくないという逃げ感覚じゃないかなぁ。真理というものの重要な要件は矛盾がないこと、オウム真理教は矛盾だらけだったよ、残念だろうけれど。意義は反面教師としてあっただけではないかな」 という他はないんです。 と仰っていますな。 まあ、「反面教師」というのは、妥当な考えですね。 わたしもそう思います。 キャンディちゃんのお言葉ではないですが、 「14歳の女性出家サマナを無理やり犯した」とか、俗物ぶりを列挙したら、 うんざりするくらいです。 誰もが(ただし、アハじゃなくてA派信者以外) 「ああいうオヤジにはなりたくないな」 と思うでしょう? わたしもイヤでつ。 まあ、初期の頃は「まじめな修行者」だったんでしょうけどね。 そのうち、預言書や経典探しにのめり込んで妄想を膨らませていったのかも。 そして、自分を最高の存在と位置づけさせると。 そうそう、「尊師の絶対化」です。 マイコンを解くには、まず「尊師の相対化」させなくてはいけないですね。 これが難しいんです。 これが出来ないと、 事件後、わたしみたいに「再入会」なんてすることになってしまいます。 わたしの場合、帰依はそれほどでもありませんでしたが、 絶対の存在だと信じ込んでいました。 でも、宗教自体、矛盾だらけだと思うんですけどね。 仏教にしろ、キリスト教にしろ、・・・。 信者だけですね。矛盾がないと言っているのは。 使えるものだけぶつ切りにして使えばいいんですよ。 オウムも他の宗教も。(藁) |