아벨(Abel)さんのメッセージ(#15765)への返事 > 天理教あたりでも、教祖直筆の原典の存在をキリスト教や仏教に対する優越点としえ教え > ていますが、まあ新宗教なら教祖直筆は珍しくないと。でもオウムですら実際のところは > わからない謎・闇の部分が多いのですから、古い宗教のオリジナルの姿なんてわかんない > でしょうな。瞑想、掲示をよりどころにするとか?? 瞑想とか啓示をよりどころにして、 その瞑想や啓示を受けた人間が誰であるのか、ということさえ 明確であり、信用できるのであれば、それはそれでOKなんです。 例えば大川隆法さんの「霊言」ですけども、 資料学としてはチャネリングしたのが大川さんであれば、 降りてきた霊なる人物が看板通りの人であろうが、 狐狸妖怪の類であろうが、まったく問題はないと。 というのは、大川さんが大川さんに起こったことを出版するわけですから。 本人が嘘をついているとしても、それはまた別の角度の問題であって、 資料学が見るのは、その資料が著者と書かれている人間公認のものかどうか、 という一点なんですよね、この場合。 つまり、聖書の福音書、例えばヨハネの福音書だとすると、 実際にイエスがそのような言動をしたかどうか、というのは問題ではなく、 「ヨハネの福音書」と称するものが、イエスの直弟子であったヨハネが見た、 あるいはイエスとその周囲の人間から聞いたイエスの言行録、 つまり、ヨハネが信じていたところのイエスの言行録でさえあれば、 たとえヨハネの聞いた話が嘘八百のデタラメだったとしても、 「ヨハネの福音書」の資料としての価値は100%なわけです。 しかし、イエスの直弟子ヨハネの福音書と一般に信じられている以上、 もしこれがイエスと面識のないどこぞのヨハネさんだったり、 イエスに面識のない誰かさん達が、勝手に書いたものにヨハネの名を冠しただけとか、 そういう風にして成立したものであれば、 「直弟子ヨハネの福音書」としての価値はまず半減します。 全滅でない理由は、それでもなお、直弟子ヨハネの語ったところを発端とする、 いくばくかの真実を含んだ口承などが入ってる可能性はあるからです。 しかし、もし他の福音書研究などの成果で、 信用できる部分の発端がヨハネではない、他の直弟子、 ということにでもなろうものなら、その時点で「ヨハネの福音書」の 「直弟子ヨハネの福音書」としての資料価値は全滅するわけです。 しかし、ことATAに翻って考えてみると、 上に書いたような諸問題は、全部クリアしてるでしょう? ですから「麻原彰晃言行録」としては超一流の資料なのですよ。 聞き書きした人間も、聞き取りにくいところを「○○かな?」と思って 補足をした場合は、ちゃんと「補足をした」という書き方がなされているので、 責任の所在は明らかにされているわけです。 > ですから、資料の収集・公開にあたられても、解釈や取捨選択を入れることなく、ナマの > 形で保存・公開していただけると一層価値が高いのではないかと・・・ 同感ですね。 資料の収集・公開というのは宗教的判断や、 政治的判断というものは差し挟まずに行っていただきたいものです。 やる以上、冷酷非情にして人権感覚ゼロで行うものです。 |