![]() 元芝さんのメッセージ(#14327)への返事 > 結果として考えられるのは「デーヴァダッタは阿羅漢より転落はしていない」です。 私も同じ考えです。 > ただ、当時の釈迦牟尼とその弟子たちとの意見の対立。 >慈悲の化身としての釈迦牟尼の自由さと弟子たちのその自由さに甘えた考え、 >それに対してあまりにも厳格なデーヴァダッタの対立があっただけではないでしょうか。 というか、釈迦は戒律を守るということに、それほど重きを置いていませんでした。 (別に破ってもかまわない、と言っているわけではありませんよ。) これは、仏教とジャイナ教などとの「修行方法(システム論)」の違いなのです。 簡単に説明すると、ジャイナ教などでは、 古来からの「言霊(ブラフマン)信仰」の流れを受け継いだ、 「サッティヤ」と呼ばれる「特殊な力」の発現によって、修行の「成就」を為そうとするのです。 そして、その「サッティヤ(=必ずその通りに物事を実現する力を持つモノ)」を 発現させる為の「絶対的な必要条件」が、「戒律の厳守」なのです。 言葉に置いて嘘をつかない戒律を遵守した者には、その者の発する言葉は「真実(サッティヤ)」となる。 という、まぁ、「言霊(ブラフマン)信仰」の理論です。 ところが、釈迦の修行システムは、このような「サッティヤ」など念頭に置いていないため、 「戒律の厳守」に、それほどの「意義」を見いだしていないのです。 これらの違いを、デーヴァダッタは全く理解できていなかった。 それが、「トラブルの主原因」だと私は考えています。 > デーヴァダッタが行きながらに地獄に堕ちたとされるのは >後世の弟子たちの彼に対する意地悪なのではないでしょうか。 私の考えも、それに近いですね。 釈迦の教団と言えど、「成就者」たちの占める人数は、 弟子全体の数からすれば、わずか数パーセントにしか過ぎません。 この「話題(トラブル)」に尾ひれがつき、変質を重ねて、教団内部に、 デーヴァダッタに対する偏見と確執が、生じてしまったのではないでしょうか。 サーリープッタなどは、調停役というか、騒ぎの鎮静化に苦労したと思います。 彼は、デーヴァダッタの修行者としての資質を認め、彼を尊敬してましたからね… |