![]() YASUさんのメッセージ(#14312)への返事 > おそらく、ソンシの考えでは、 > 色界(形状界)の上部に行くには、四無量心の修行が不可欠と考え、 > 在家では、「慈(聖慈愛)」ぐらいしかできないと考えて、そういう結論になったと思います。 > 梵天(神聖天)に行くには「性欲」の捨断か「聖慈愛」の実践が必要とか述べていました。 > > 原始仏教側に立つと、 > 「(上位色界へ転生するのに)そんなモノ(=四無量心)はいらない」と言うことになりますな。 そうですね。四禅定や四無色定を修するのに、特に四無量心は必要ありません。 これらの瞑想修行は「自力修行」が基本なので、 他者との関わりがどうこうということは、特に関係ないのです。 釈迦の出家修行の基本は、まずは外界からの「遠離・離貪」が基本なのです。 四無量心は、その外界に対する意識の持ち方(他者との関わり)を強調するモノなので、 釈迦の修行システムから考えると、むしろ「修行の邪魔」になるでしょうね。 それに、特に「四無量心」などというものを強調する必要は、 原始仏教にはなかったと思います。 何故ならば、仏性の中に「四無量心」は内在されているからです。 修行し成就した「結果」として、四無量心は自ずから仏性として「発現」する。 修行途中で、無理矢理それを押しつける必要はない、と釈迦は考えていたのではないでしょうか。 それらを修行に必要なモノとして、声高に強調し始めたのは「大乗仏教」になってからだと思います。 >「不還」が「慧解脱」を得ると、「覚者」ですか。 いいえ、「慧解脱」か「心解脱」のどちらか一方を成就して「不還果(阿羅漢のスタート)」となり、 「慧解脱」と「心解脱」の二つが揃(そろ)って「阿羅漢果(阿羅漢の完成=覚者)」となるのです。 「慧解脱」は、「無明(根本的な事実の誤認)」を破壊し、 「心解脱」は、「我欲(貪り)」と、それが邪魔をされた時に付随して起きる、 「憤り(怒り)」の二つを止滅させるのです。 > ソンシが言うには、南伝仏教では、覚者=阿羅漢だとか そうです、阿羅漢果としての「完成形(ラストステージ)」が覚者です。 >「菩薩(到達真智運命魂)」と「如来(真理勝者)」の関係に似ていますね。 不還果を得れば、「菩薩(到達真智運命魂)」としての資質を備えたと言えると思います。 >「仏陀(覚者)」と「如来(真理勝者)」との違いは >最終地点まで導いてくれたグルの存在の有無とか書いていますし、 これは、あまり意味のない解釈ですね。 「如来」とは、私たちの持つ「本質(真我)」の別名ですから。 麻原流の独特の解釈ではないでしょうか。 ただ、もちろん「師」を持たず、「自力」でゴールまでなんとか到達した人と、 誰かの助力を得てゴールまで到達した人とでは、「底力(地力)」が違うでしょうけどね。 自力のみの人は、数多くの失敗や寄り道を繰り返すことになります。 しかしその経験こそが、その人の結果を支える「貴重な財産」となっているのです。 他から導かれた場合は、そういうベーシックなものが経験できませんからね。 しかしその分、結果は素早く出せる、ということです。 >南伝仏教では阿羅漢(供養値魂)=仏陀(覚者)と見なしているとも書いてありました。 ええ。仏の「十号(十種類の呼び名)」は、 オウムでは「段階的(階層的)」なものとして説明していましたが、 本来は「並列的」なものと見なされています。 ですから、阿羅漢(供養値魂)=仏陀(覚者)であってもおかしくはないのです。 > となると、デーヴァダッタは一度、阿羅漢に到達しているにもかかわらず、 > 供養・名声等を得て堕落しています。 > 何故、阿羅漢から転落したのか?と、 > それをラオスのお坊さんはソンシに突っ込まれて、返答できなかったと。 阿羅漢とは言っても、これは不還果の方でしょうね。 まだほんの入り口の段階。 ただ、デーヴァダッタは堕落したと言いますが、 これには諸説があるようです。一概には言えません。 彼は石頭というか、原理原則主義というか、ようするに「融通がきかない」性格だったのです。 で、釈迦に、もっと戒律等を厳格に徹底しろと要求を突きつけた、と。 これはおそらく、ジャイナ教あたりの影響を受けたのではないでしょうか。 あそこは、戒律がとても厳しくて、それが成就に至る必要条件になってますから。 釈迦はそれを退けます。戒律などは「手段」であって「目的」ではありませんから… 尊敬する釈迦に、文句を言った不遜な弟子として、 デーヴァダッタは他の弟子達の逆鱗に触れてしまったのです。 とにかく、釈迦の弟子達はデーヴァダッタを徹底的に毛嫌いしていたようで、 ジャータカ(釈迦の輪廻転生譚)を創作したときには、徹底的な悪役に仕立て上げていますよね。 実際には、彼もそれなりの弟子を持ち、 その一派は、かなり後生にまで存在していたことが、学術的に確認されているはずです。 |