和井 恵さんのメッセージ(#14308)への返事 > > 一方では、在家の仏弟子のナンダマーターは四禅まで到達したと書いてあります。 > > また、五下分結を捨断しているとか。 > > 四向四果で言うと、不還ぐらいかな? > 「四禅定」まで修している、ということは、「色究境天まで行ける」ということ。 > ここですでに、「梵天どまり」という「オウム説」は破綻してしまいますよね。 原始仏教だとそうなりますね。 まあ、四向四果は原始仏教・南伝仏教の教説ですから。 マチク・ラプドゥンマの場合には、 死後、ポワの技法を使って、色究境天・ダーキニーの浄土へ行ったと 『智慧の女たち』(ツルティム・アリオーネ著/春秋社)には書いてあります。 チベット仏教は大乗仏教の範疇ですから、一概には言えませんけど。 おそらく、ソンシの考えでは、 色界(形状界)の上部に行くには、四無量心の修行が不可欠と考え、 在家では、「慈(聖慈愛)」ぐらいしかできないと考えて、そういう結論になったと思います。 梵天(神聖天)に行くには「性欲」の捨断か「聖慈愛」の実践が必要とか述べていました。 原始仏教側に立つと、 「(上位色界へ転生するのに)そんなモノ(=四無量心)はいらない」と言うことになりますな。 > 「不還」の段階で、すでに「此岸(苦しみの世界)」から離れて「彼岸」には至っているのです。 > これが「慧解脱」の状態。外因から離れることが「自然にできる」という状態。 > さらに進んで内因まで消滅させると「心解脱」の状態。 > 「慧解脱」と「心解脱」の二つが完成して「覚者」となるのです。 > どちらか片方だけ(普通は、慧解脱が終了して心解脱が未了)では、まだ「不還」なのです。 > > つまり、最終目的地は、そこからもう少し先にあるのですが、一応「彼岸(苦しみのない世界)」へは、 > すでに第一歩を踏み入れているのが「不還」なのです。 「不還」が「慧解脱」を得ると、「覚者」ですか。 ソンシが言うには、南伝仏教では、覚者=阿羅漢だとか。 「菩薩(到達真智運命魂)」と「如来(真理勝者)」の関係に似ていますね。 「仏陀(覚者)」と「如来(真理勝者)」との違いは最終地点まで導いてくれたグルの存在の有無とか書いていますし、南伝仏教では阿羅漢(供養値魂)=仏陀(覚者)と見なしているとも書いてありました。『約束の大地』のラオス編だったか? となると、デーヴァダッタは一度、阿羅漢に到達しているにもかかわらず、 供養・名声等を得て堕落しています。 何故、阿羅漢から転落したのか?と、 それをラオスのお坊さんはソンシに突っ込まれて、返答できなかったと。 一九九一年八月二十八日 サーリー師との対談 http://pureweb.jp/~ata/text/preaching/9108la/910828sas.html ↑本の方はまとまって書いてありましたが、実際には両方ともしどろもどろだったんですな。 |